ふたつの内示

十六時五十分。川端拓真と山名夕子は、誰もいない小会議室で向かい合っていた。机の上には人事部の封筒が二つ。拓真は札幌、夕子は福岡。四月から、二人の距離は二千キロになる。

「希望、通ったんだね」夕子が言った。

「君もだろ」

「私は希望してない」

「福岡の新規事業、前から行きたがってた」

「拓真が札幌へ行きたいって聞いたから、そう言っただけ」

二人は交際を社内で隠していた。人事面談でも、互いの名前は出さなかった。昼休みは別々に取り、出張土産も全員へ同じものを配った。部屋の合鍵だけが、会社の外で二人を恋人だと知っていた。代わりに、相手が行きたいと噂で聞いた場所へ近づくよう、遠回しな希望を書いた。

拓真は札幌案件が夕子の第一希望だと思い、北海道を選べる部署へ手を挙げた。夕子は拓真が九州の立ち上げに興味があると聞き、福岡勤務可に丸をつけた。どちらの噂も、本人に確かめなかった。

「部屋、どうする?」

「解約でいい」

「鍵は」

「今返す」

夕子が赤い革のキーホルダーを外す。拓真は青いほうを外した。二つを並べると、切り離された磁石がまだ互いを引いた。

「遠距離、できると思う?」

「夕子は?」

「質問で返さないで」

「君が先に決めたみたいに言うから」

十六時五十八分。拓真は札幌の封筒へ、夕子は福岡の封筒へ署名した。人事へ返すだけで内示受諾になる。

二人は同時に立ち、会議室の左右の扉へ向かった。

そのとき、社内メールの通知が鳴った。人事システムの遅延で、本人希望票の写しが今になって配信された。

拓真の希望欄には〈山名夕子と生活を継続できる地域〉。夕子の欄には〈川端拓真の勤務地に合わせる〉。秘密にするため、相手の名は備考欄へだけ書いてあった。人事は二人を恋人ではなく、互いを推薦し合う同僚だと判断したらしい。

拓真が振り返る。夕子も画面を見ていた。

「書いたなら、言ってよ」

「そっちも」

十七時。二基のエレベーターが同時に閉まり、札幌担当の拓真を上階へ、福岡担当の夕子を地下の人事窓口へ運んだ。机の上には、引き合ったまま離れない二つの合鍵だけが残った。