カメラを切った同僚
オンライン会議では、本人と影を同じ画面に映す。
影が挙手した場合、本人は直ちにマイクを切り、影の自動字幕を正式発言として記録する。影がフレーム外へ出たら本人は欠席扱い。会議中に影を照明で固定する行為は、発言妨害として懲戒の対象になる。
宇津見智紀は、一年半、自宅の机から働いていた。
朝会、顧客対応、進捗確認。画面には同僚の顔と、その背後からときどき離れて歩く影が並んだ。誰かの影が冷蔵庫へ行き、別の影がベランダで煙草を吸う。本人たちは話し続け、影が挙手したときだけ黙った。
智紀の影は一度も手を挙げなかった。壁際で背筋を伸ばし、本人より勤勉そうに見えた。智紀は夜中まで返信し、休日にも通知を確認した。部屋を出るのはゴミ捨てと食料の受取だけ。影が外を歩く機会もなくなった。
四半期評価の日、上司が言った。
「宇津見さんは安定しています。次期も案件を二つ追加します」
智紀は「承知しました」と答えようとした。
背後で影が手を挙げた。
規則どおりマイクを切る。画面下に黒い字幕が現れた。
《本人は三日前から眠っていません》
上司は頷き、議事録担当が入力した。智紀は首を振ったが、ミュート中の身振りは記録されない。
《冷蔵庫には水しかありません》
《昨日、玄関まで行きましたが、本人が鍵を開けませんでした》
同僚たちは驚かなかった。影の発言は健康報告として扱われる。人事が休職申請の画面を共有した。智紀は解除ボタンへカーソルを動かしたが、影が机から離れ、フレームの端へ歩きだした。出れば欠席になる。
「待て」
マイクは切れている。
影は画面外へ消えた。会議システムが《宇津見智紀:欠席》と表示し、本人の映像まで灰色になった。休職は出席者全員の賛成で可決された。智紀を除く全員には、影も含まれていた。
会議が終わっても影は戻らない。智紀は玄関を開けた。廊下に黒い足跡があり、階段へ続いている。靴を履き、追いかけた。外へ出るのは十九日ぶりだった。
足跡は近所の公園で途切れていた。ベンチに同僚の柏葉奈緒が座っている。画面では毎日会っていたが、実際に見るのは初めてだった。彼女の影も足元になく、二つの影が滑り台の上から夕焼けを見ていた。
智紀と奈緒は、仕事の話をしなかった。自販機で温かい缶を二本買い、影が戻るまで黙って座った。
帰宅すると会社のノートパソコンは自動でログアウトされていた。机のマウスパッドに、小さな濡れた足跡が二列、窓からキーボードまで続いていた。
最後の一歩だけは、外向きだった。