カーテン越しのラジオ
朋香は、雨の夜にだけ隣室のラジオを聞く。
壁が薄いわけではない。隣の人がベランダ近くへ小さな受信機を置くらしく、窓を開ける季節になると、天気予報や交通情報がカーテン越しに届く。
午前一時、雨脚は一定だった。
ベランダの手すりを打つ音。
室外機の回転音。
それらの間を縫って、落ち着いた声が「明け方にかけて」と話している。
朋香は床へクッションを置き、窓際に座った。
明日の朝、実家から電話が来る予定だった。母は最近、用事がなくても「元気?」と聞く。朋香は毎回「元気」と答える。嘘ではないが、本当の全部でもない。今夜はなぜか、その一言を明日も言えるか自信がなかった。
隣のラジオが少し大きくなる。
「沿岸部では——」
そこで誰かが咳をした。
低い咳が二つ。すぐに音量が下がり、予報は雨音の奥へ引っ込んだ。隣の人が起きている。それ以上のことは何も分からない。
朋香は棚から、自分の小さなラジオを出した。防災用に買い、ほとんど使っていない。周波数を合わせると、同じ声が今度はこちらの部屋ではっきり聞こえた。
隣から届く遅れた音と、自分のラジオの音がわずかにずれる。
「雨は——雨は——」
「次第に——次第に——」
二つの声は重なりきらず、同じ内容を別々の部屋で話していた。
朋香は音量を一番小さくした。隣へ聞かせたいわけではない。ただ、自分で選んだ音として聞いていたかった。
天気予報が終わり、音楽が始まる前に電源を切る。隣のラジオはしばらく続き、やがてそちらも消えた。
雨と室外機だけが残る。
消したラジオのダイヤルには、指の熱だけが残った。朋香は受信機を箱へ戻さず、窓辺へ置く。次に使うのが災害の夜か、ただ眠れない夜かは分からない。隣の人も同じ周波数を選んだという事実だけが、薄い壁を越えて静かに残っていた。
朋香は母への返事を決めなかった。元気と言ってもいいし、少し疲れたと言ってもいい。明日の声は明日出せばいい。
今夜は窓を指一本分だけ開け、雨の音を自分の部屋へ入れて眠ることにした。