一番軽い箱
美鶴は「手伝おうか」と言われるのが嫌いだ。千景は、頼まれない手伝いをしない。
だから二人の引っ越しは、驚くほど静かに進んだ。
美鶴は手首の手術から二週間で、医師に重い物を持つなと言われている。それでも自分の箱には自分で番号を書き、片手で持ち上げようとした。
「それ、底が抜けるよ」
千景は言ったが、代わりに持とうとはしなかった。助けを押しつけると、美鶴は余計に無理をすることを知っている。
二人は同居を解消する。美鶴は実家の近くへ戻り、千景は会社の寮へ入る。仲違いではない。家賃と通勤と身体の都合が、同じ部屋にいる理由を追い越しただけだ。
美鶴は「心配されるくらいなら痛いほうがまし」と言う。千景は、その意地を尊重することと放置することの境目がわからない。美鶴も、何も言わず待つ千景を冷たいと思う日がある。
運送業者から遅れると連絡が来た。退去の時間は迫っている。玄関には箱が十二個。美鶴が一番小さな箱へ手を伸ばす。
「軽いから」
中には通帳、契約書、手術の記録が入っている。軽いが、落とせない箱だった。
千景も反対側の取っ手をつかんだ。
「これは二人で持つ」
「一人で持てる」
「重さの話じゃない」
美鶴は不満そうに眉を寄せた。それでも手を離さなかった。千景も引き取らなかった。
二人で持つには小さすぎて、肩がぶつかった。廊下では横向きになり、階段では一段ずつ声をかけた。ほかの箱より時間がかかる。
途中、美鶴の手首が震えた。千景は取り上げず、階段の踊り場へ箱を置く。休むかとは聞かない。美鶴が息を整えて取っ手を握り直すまで、自分もしゃがんでいた。
一階へ着くと、業者のトラックがちょうど曲がってきた。作業員が箱を受け取ろうとしたが、美鶴は首を振る。
「これは自分たちで運びます」
千景は「自分たち」という言葉を訂正しなかった。
駐車場には、別々の行き先を書いた二台の車が待っている。箱はどちらか一方へ乗せなければならない。
美鶴が自分の車を顎で示す。千景はうなずいた。
二人は最後まで同じ取っ手を持ち、一番軽い箱を荷台へ置いた。