三分間の試着
御堂塁は、願いの試着室へ入った。
選んだ願いは、《誰もが僕の名を知る画家になる》。
店員が砂時計を返す。
「三分間だけ、お試しできます。気に入れば、そのままお買い上げください」
幕を閉めた瞬間、拍手が鳴った。
塁は大きな美術館に立っていた。壁一面に自分の絵がある。記者が群がり、海外の客が名前を呼び、学芸員が「今世紀最大の才能」と紹介している。売店には自分の顔を印刷した鞄まで並び、知らない子どもがその鞄を抱えていた。
胸が熱くなった。
これだ。十年描いても誰にも見つからなかった自分が、ようやく報われた。
サインを求める列の向こうで、少女が手を振っていた。
娘の柚々だった。
塁は近づこうとしたが、記者に囲まれて動けない。柚々はランドセルを背負っている。今日は小学校最後の展覧会だった、と気づいた。
「お父さん、来るって言ったじゃん」
声は拍手に消えた。
塁の携帯には、着信が九十七件あった。画廊、テレビ局、海外の代理人。その中に柚々からの一件が埋もれている。
《もう終わったよ》
砂時計が落ち切った。
試着室へ戻ると、塁は息を切らしていた。
「お買い上げになりますか」
店員が尋ねる。
願いは美しかった。名声だけが悪いのではない。自分なら仕事と家族を両立できる、と言い訳もできた。
だが現実の時計は午後四時二十二分。柚々の展覧会は五時までだ。ここから走れば、閉場前に間に合う。
塁は試着札を返した。
「別の願いにします。信号が全部、青でありますように」
店員は初めて笑った。
塁は走った。
途中、三つの信号があった。全部青だった。
体育館へ飛び込むと、片づけが始まっていた。柚々は自分の絵を壁から外している。家族三人の絵で、父親だけが端に小さく描かれていた。
「間に合った」
塁が言うと、柚々は時計を見た。
「ぎりぎり」
「見せて」
柚々は少し迷い、絵を広げた。
塁は膝をつき、三分より長く、娘の絵を見た。人物の手が不自然に大きい。空は紫で、家の屋根は傾いている。それでも端にいる父親は、娘の方を見ていた。
「ここ、直した方がいい?」
柚々が聞く。
「直さなくていい。どこが好きか、もっと聞かせて」
誰も彼の名を呼ばなかった。
それで足りた。