九十九人の分母

寺島莉子は医療AI会社で、胸部画像の正解ラベルを付けるアルバイトだった。病院連合が診断支援システムを採用する決裁会議に、評価データの説明補助として参加した。

資料には「がん見逃し率〇・九パーセント」と大きく書かれていた。営業取締役の西園は、人間の読影より安全だと説明した。

莉子は評価用画像千件を知っていた。がん陽性は百件、そのうちAIが見逃したのは九件。見逃し率は九パーセントのはずだった。

資料では九件を全画像千件で割り、〇・九パーセントにしている。

「全受診者に対する率だから正しい」と西園は言った。

莉子は病院との評価計画書を開いた。指標の定義は「偽陰性数÷陽性症例数」。西園自身の署名があり、分母は百人と明記されている。

病院側の医師は、九件の内容を尋ねた。莉子は一覧を出した。うち三件は早期肺がんで、AIが正常と判定していた。しかも会議資料では、その三件が「画像不鮮明」として母集団から除外されている。

西園は、ラベル担当の判断は医学的ではないと切り捨てた。

莉子は再読影結果を示した。三病院の専門医が全件を陽性と確認し、電子署名している。署名時刻は会議資料作成の前日。除外理由はその後に書き足されていた。

アルバイトの莉子には、採用が決まっても報奨金はない。契約が流れれば、次の仕事を失うだけだった。それでも九人を千人の中へ薄めることはできなかった。

「分母を大きくしても、見逃された人は小さくなりません」

西園は、九人のうち治療方針が変わる症例は少ないと主張した。莉子は症例番号を一つだけ読み上げた。A-099。再読影では二センチの腫瘍があり、三か月後なら手術適応を外れる可能性があった。統計表では一行でも、患者側には一人分の時間だった。

A-099の画像には、莉子が最初に付けた陽性ラベルも履歴として残っていた。

病院連合の代表が導入契約の電子承認を取り消した。画面の〇・九が九・〇へ書き直される前に、三十病院分の決裁が止まった。