八分間の保留音
午前十時、保険会社のコールセンターで、電話はつながるのに顧客画面だけが開かなくなった。
スーパーバイザーの相良井誠司は、百席のオペレーターが同じ保留音を流し始めるのを聞いた。通話を運ぶSIPは正常で、声は届いている。止まったのは契約内容を表示するCRMだった。
現場責任者は「氏名と生年月日を聞いて、紙に控えて続けろ」と指示した。誠司はすぐに訂正した。
「名前と折返し番号だけ。病歴や口座は聞かないでください」
紙で続ければ件数はさばける。しかし机の上に個人情報が残り、復旧後の入力ミスも増える。しかも今日は給付金の相談が多い。契約を見ずに答えれば、誤案内がそのまま生活費に響く。
誠司はオペレーターを三群に分けた。緊急性の低い照会は折返しキューへ、事故直後の連絡は最低限の受付へ、入院中で支払期限が迫る案件だけ管理者席の予備端末で確認する。全員を同じやり方で止めるのではなく、危険の大きさで入口を分けた。
監視画面ではCRMへの接続要求が秒間数千件に膨らんでいた。画面が開かないたび自動更新し、さらに負荷を増やしている。誠司は全席へ更新禁止を伝え、再接続を十分ごとの波にまとめた。
八分後、予備端末が開いた。最初に確認したのは、朝から三度かけていた高齢の契約者だった。誠司は担当者へ、障害の説明より先に謝罪と折返し時刻を伝えさせた。復旧しても、待たされた時間までは消えない。十二分後には通常席も戻り始める。だが誠司は一斉ログインを許可しなかった。二十席ずつ再開し、応答時間が悪化しないことを見て次を通す。
保留音が一席ずつ消え、人の声が戻ってきた。センター長は「復旧に八分」と報告書へ書いたが、誠司の机には折返し伝票が百三十七枚残った。
昼休みのチャイムが鳴る。
新人が弁当を持ったまま尋ねた。「これ、午後に回しますか」
誠司は一番上の伝票を取った。事故現場からの連絡だった。
「昼休みはシステムにある。お客様の事故にはない。順番にかけよう」
保留音の代わりに、発信音がセンターへ広がり始めた。