公爵夫人のポケット
カミーユは、ポケットのない服が嫌いだった。
鍵、鉛筆、小さな帳面。仕事に必要なものを自分で持てない服は、飾り籠と同じだと思っている。
オズワルド公爵との仮婚約が決まり、仕立屋が持ってきた礼装には、当然のようにポケットがなかった。
「公爵夫人は物を持ちません。侍女に預けるものです」
カミーユが渋い顔をした翌日、礼装は左右に深いポケットをつけて戻ってきた。片方には鉛筆が折れない細長い仕切りまである。
「誰の指示?」
侍女は笑いをこらえた。
「閣下が、あなたは考えるとき右の腰を探る、と」
オズワルドは領民から「微笑まない鉄公爵」と呼ばれている。朝議で居眠りした伯爵をその日のうちに更迭し、祝宴の花火さえ予算超過で中止した男だ。
そんな彼が、カミーユの空振りした手だけ見ていた。
王妃主催の衣装審査会で、その特注礼装が問題になった。
「腰の線が崩れます」
女官長がポケットを縫い閉じようとする。カミーユは反射的に一歩引いた。
「伝統衣装に実用品を入れるなど、みっともない」
「入れるかどうかは私が決めます」
言い返したものの、会場の笑い声に頬が熱くなる。
オズワルドが女官長の針を取り上げた。
「彼女の服に勝手に触れるな」
「閣下、王妃殿下の規定です。公爵夫人は侍女を従え、物を持たず、優雅に――」
「カミーユは公爵家の会計監査官でもある。帳面を持つ」
「婚姻後は職を辞すのが通例です」
空気が変わった。仮婚約の契約には、確かに辞職について曖昧な一文がある。
カミーユはポケットの中で帳面を握った。公爵に救われてきた。ならば仕事くらい諦めるべきだろうか。
オズワルドは契約書を取り出し、辞職条項を線で消した。
「続けるか辞めるか、彼女が決める」
王妃が目を細める。
「妻が夫より仕事を優先しても?」
「優先順位も彼女のものです」
彼はカミーユのポケットへ手を入れず、空の掌を差し出した。
「鉛筆を貸してくれるか。君が許すなら」
カミーユは笑って一本渡した。
オズワルドはその鉛筆で契約書へ追記する。
――公爵夫人の衣服、職業、所持品について、最終決定権は本人にある。
「この礼装で出るか、着替えるか、審査会を帰るか」
カミーユは両方のポケットへ手を入れた。
「このまま出ます」
「では審査を続けろ。ポケット込みで評価しろ」