切手代は別
都築未依が古書喫茶「水脈」で選んだのは、一枚の絵葉書だった。
薄いクリーム色の紙に、昔の駅前通りが刷られている。路面電車も洋品店も、今はもうない。裏面は何も書かれておらず、隅に「切手代は別」と小さな活字があった。
閉店まであと十五分。未依のスマートフォンには、母からのメッセージが並んでいた。
「日曜は帰れるのよね」
「紹介したい人にも時間を空けてもらったから」
帰省のたび、未依の予定は実家で先に組まれる。今回は、知人の息子と会う席だった。断れば母が困る。相手にも失礼だ。そう考えて「分かった」と打ったが、まだ送っていない。
店も今日で閉じる。店主は古本を箱へ移し、最後に会計台の小物を片づけていた。未依が絵葉書を差し出すと、店主は反りがないか確かめ、紙袋へ入れようとした。
「ここで書いてもいいですか」
店主は鉛筆立てを寄せる代わりに、会計台の小さなランプを未依の手元へ向けた。明るくなったのは葉書一枚分だけだった。
宛名を書き始める。母の住所は、考えなくても指が覚えている。
文面で止まった。
「日曜は帰りません」
そこまで書くと、紙の白さが急に広く見えた。未依は続けた。
「会う約束を私の返事より先に決めないでください。次に帰る日は、私から連絡します」
冷たいだろうか。説明が足りないだろうか。謝る一文を足そうとしたとき、店主がレジを締め、釣銭を種類ごとに分け始めた。一枚ずつ、足りないものと余るものを混ぜずに数えている。
未依は「ごめん」を書かなかった。
会計を済ませると、店主は絵葉書を裸のまま渡した。まだ投函していないから、包装すれば出せなくなる。レシートには商品代だけがあり、郵送に必要な分は含まれていない。
切手代は別。
言葉を届けるには、書いたあとにも自分で払うものがある。母からの電話、沈黙、機嫌の悪い返信。それらまで無料になるわけではない。
未依はスマートフォンの「分かった」を消し、葉書と同じ内容を先に送った。
店主が閉店札を返す音と、送信音が重なった。
絵葉書はまだ未投函だ。それでも未依は、帰らない日曜を初めて自分の予定として確保し、宛名の側を上にして鞄へ入れた。