動かされた三本脚

水無瀬森真緒佳が帰宅すると、音楽室のグランドピアノがなかった。

友人の藤ノ森菜々美から、披露宴で一晩貸してほしいと頼まれたが、運搬と調律が難しいため断っていた。

「友達の結婚式なのに、物のほうが大事なんだ」

そう言われた翌朝、菜々美は引っ越し業者を装った知人二人と家へ入り、ピアノを持ち出していた。以前預かったペット用の鍵を使ったのだ。

会場でピアノは屋外テラスへ置かれた。突然の雨に濡れ、急いで動かした際に一本の脚が石段へ落ち、内部の響板にも亀裂が入った。

菜々美は披露宴後、真緒佳へ写真を送った。

「少し濡れただけ。音は出たし、いい思い出になったよ。友達ならお祝いでくれてもよくない?」

真緒佳は製造番号と鑑定書を持って会場へ向かった。

そのピアノは、祖母が演奏家として使った特注品で、現在の評価額は一千万円。翌月には復刻録音のため、ホールで使用する契約もあった。

運搬業者は、菜々美から〈所有者本人〉と聞かされ、通常の家具便で運んでいた。専門のピアノ運送ではないため、脚を固定せず、温湿度管理も行っていない。玄関カメラには、菜々美が真緒佳の名前で偽の委任状へ署名する姿が映っていた。

修復工房の見積もりは、脚、響板、弦、外装で六百万円。録音延期と専門運搬、代替楽器を含めると、損害は九百万円を超えた。

菜々美は式場へ責任を押しつけた。

しかし式場は、屋外設置を何度も止めた記録を残していた。菜々美は「写真映えが最優先」と指示し、雨雲警報も無視している。

「結婚したばかりで借金なんて無理。真緒佳が保険を使えば丸く収まる」と菜々美は言った。

真緒佳は濡れた鍵盤を見た。

「丸く収めるために、三本ある脚を一本折ったのはあなたでしょう」

菜々美夫妻は、無断使用を知らなかった夫の資産とは分け、菜々美本人の預金、車、婚礼用宝飾品を処分して頭金を作り、残額を分割で払うことになった。

修復後の最初の音が録音ホールへ響き、菜々美の偽委任状が証拠保管された瞬間、結婚祝いにもらえると思った女には、一曲より長い返済だけが始まった。