半分の揚げないコロッケ
久世那緒の弁当箱には、揚げていないコロッケが一個入っていた。パン粉を薄くまとわせ、オーブンで焼いた母の料理だ。三年前、那緒が食べることを怖がっていた時期に、母が何度も作り直した。
今は回復したことになっている。通院も終わり、職場では普通に昼食をとる人として過ごしている。けれど一か月前から、また弁当を捨てる日が増えた。母には残業で食べ損ねたと嘘をつき、空の箱だけ持ち帰った。
元に戻ってしまったと知られるのが怖かった。母を再び見張り役にしたくない。心配する顔を見たくない。何より、三年間の努力を無駄にした娘だと思われたくなかった。
昼休み、非常階段で蓋を開けた。焼いたパン粉の香りは弱く、表面は揚げ物のようにぱりぱりしていない。箸を入れると、じゃがいもが柔らかく割れた。母は「食べやすいほうでいい」と言って、揚げることに戻さなかった。
那緒は一口食べた。温度はもうなく、舌の上で芋がゆっくりほどける。二口目までは進んだ。三口目を前に、喉が狭くなる感覚がした。全部食べなければ、また始まったことになる。そう思うほど、箸を持つ手が動かなくなった。
那緒はコロッケをきれいに半分へ切った。食べた側と残す側の境目を、曖昧にしないためだった。半分食べられた。半分は食べられなかった。どちらも今日の事実だった。
残りをティッシュへ隠さず、箱の中央へ置いたまま蓋をする。母へ空の箱を見せて安心させるための昼食ではない。自分が食べられる量を確かめるための一個だった。
那緒は弁当箱の写真を撮り、「半分で止まった。最近また難しい」と送った。
すぐに返事が来たが、画面は開かなかった。まず残した半分を冷蔵庫へ入れる。捨てるか食べるかは、母ではなく、夕方の自分と相談する。
半分という量は、敗北の印ではなく、その日の体調を測る目盛りになった。那緒は食べた側だけを褒めず、残した側だけを責めなかった。どちらも同じ一個からできている。母にも、まずそのまま見てもらえばよかった。
箱の中に半月形のコロッケがあることを、今日は隠さなかった。