友人から三駅離れる
野上冬花のスマートフォンには、親友から二件のメッセージが届いていた。
〈うちの隣、空いたって。申し込むなら大家さんに言えるよ〉
その十分後に、〈でも、遠くへ行きたいなら止めないからね〉。
冬花は大学を出てから八年、親友と同じ町で暮らしてきた。徒歩七分の距離で、熱を出せば飲み物を届け合い、夜中に思いつけばコンビニ前で会えた。
今の部屋の退去が決まり、候補は二つある。親友の隣室と、三駅離れた川沿いの部屋。隣室なら知っている生活がそのまま続く。川沿いは家賃が安く、窓が広い。ただし、思いつきで会える距離ではなくなる。
二十九歳で友人のそばを選ぶのは、頼りすぎだろうか。離れるのは、自立を演じているだけだろうか。どちらを想像しても、世間の採点が頭に浮かんだ。
入居申込書の住所欄を前に、冬花は二件のメッセージを何度も読み返した。止めない、という言葉は、行ってほしいという意味にも、残ってほしいのを我慢しているようにも見えた。
冬花は電話をかけた。
「川沿いの部屋にする」
親友は一秒黙り、「じゃあ三駅ぶん、ちゃんと遊びに行く」と言った。
「毎週じゃなくていいよ」
「それは住んでから決める」
二人で笑ったあと、冬花は少し泣いた。距離を選ぶことは、関係を試すことでもある。近さが支えていたものを失うかもしれない。
それでも申込書には川沿いの住所を書いた。連絡先の欄には、自分の番号だけを記した。
川沿いの部屋を内見した帰り、冬花は親友の家まで実際に電車で戻った。乗車時間は九分、ホームの待ち時間を入れると二十二分。近いとも遠いとも言える数字だった。毎日の距離ではなく、会いたい日に越える距離としてなら、自分たちで意味を変えられるかもしれない。
親友の家の鍵は預かったままだった。返すか迷い、冬花は新居の鍵と別々のポケットへ入れた。距離と信頼は同じではない。
送信後、冬花は親友へ新居の最寄り駅を送った。三つ先の駅名が、二人の間に初めて置かれた。