名を飲む治療師

病人の名を書いた紙を治療師が飲み込めば、病はその名を追って治療師へ移る。ただし、その後、治療師は愛する者の名を一つも口にできない。

テマリスは薬杯の底に、弟ルガの名を沈めた。

紙は蜂蜜酒を吸って透明になり、黒い文字だけが魚のように揺れている。寝台では弟が浅い息を繰り返していた。青熱は夜明けまでに心臓へ届く。

「別の治療師を呼ぼう」

恋人が彼女の肩をつかんだ。「君が飲む必要はない」

「名を飲める者は、この町に私しかいない」

「病が移れば、君も死ぬかもしれない」

「死ななくても、あなたの名前は呼べなくなる」

テマリスがそう言うと、彼は黙った。

愛する者の名を口にできない。それは声だけの代償だと、若いころは思っていた。名を呼ぶことが、怒りも謝罪も喜びも相手へ渡す最短の道だと知るまでは。けれど治療院で見た先輩たちは、夫を「あなた」と呼び、子を「小さい人」と呼び、やがて愛そのものを隠す癖を身につけた。名前を呼べない関係は、少しずつ誰にも説明できないものになる。

恋人は彼女の手から杯を取り上げようとした。

「せめて今、私の名を呼んで」

テマリスは彼を見た。雨の日に初めて会った顔。喧嘩のたび、先に謝るくせに言葉が足りない人。来週、二人で家を探す予定だった。

彼の名を呼ぶ。まだ自由に。

一度。

彼が泣きそうな顔をする。

二度。

寝台のルガが咳き込み、唇が青くなる。

「もう一度」と恋人が言った。

三度目は言わなかった。最後の一回を惜しむ時間が、弟の命を削っている。

テマリスは杯を奪い返した。

「ルガ」

弟の名を呼ぶと、紙の文字が明るくなる。飲めば、この名も二度と口にできない。弟が目覚めても、名前で祝えない。叱るときも、結婚式でも、墓前でも。

それでも生きていれば、別の言葉は探せる。

テマリスは杯を唇へ運んだ。

蜂蜜の甘さの向こうで、青熱が舌を刺す。文字が喉を下りた瞬間、弟の頬に赤みが戻った。

恋人が彼女の名を叫ぶ。

テマリスは反射的に彼の名を返そうとした。

けれど、愛する人々を呼ぶための音だけが、すでに舌から奪われていた。