名前のない兵士と白い札

村外れの橋には、夜ごと鎧の幽霊が立った。

襲いはしない。ただ誰かを待つように道を塞ぎ、通ろうとすると兜の奥から「名を」と繰り返す。墓守見習いのユラは、戦死者名簿を何度も調べたが、百年前の洪水で半分が失われていた。

橋の向こうには産婆の家がある。今夜、村の妊婦が急に産気づき、迎えの馬車が橋で止められた。

必要なのは剣ではない。幽霊が忘れた、一つの名前だ。

ユラは墓守になった日に渡された《初回十連》を開いた。

蝋燭、花鋏、香油など九品。最後に、文字のない白い墓札が一枚。

《無銘札/説明:持ち主が最後まで手放さなかった名を刻みます》

ユラは一人で橋へ出た。

幽霊が錆びた剣を抜く。彼女は剣先を避けず、白い札を鎧の胸へ当てた。

木目の上に、ゆっくり文字が浮かぶ。

『エドラン・ヴェイル。北門守備隊。橋を守り、帰還者を待つ』

「エドラン」

ユラが呼ぶと、幽霊の剣が止まった。

兜の奥で青い光が揺れる。彼は百年ぶりに自分の名を確かめるように札へ触れ、それから橋の脇へ一歩退いた。

迎えの馬車が通る。産婆は礼を言う暇もなく走り去った。

幽霊はユラへ敬礼し、夜霧へほどけた。橋のたもとには、白い札だけが残る。

夜明け前、遠くで赤ん坊の泣き声が響いた。ユラは札を新しい墓へ立て、名簿の空白へ一行を書き足す。

その文字の下に、小さな表示が現れた。

名簿の古い余白には、同じ日に橋を渡った避難民百三十二人の記録があった。エドランは逃げ遅れたのではない。全員が渡り終えるまで残り、戻るはずの部隊を待ち続けたのだ。村人たちは朝になると橋の名を彼の名へ変えた。英雄像は建てず、道標へ「ここを守った人」と一行だけ刻んだ。

その夜から、橋で「名を」と呼ぶ声は消えた。代わりに風が吹くたび、道標の木札がかすかに鳴る。産婆が抱いて戻った赤ん坊には別の名が付けられた。忘れないために同じ名を借りるのではなく、エドランの名は彼自身のものとして墓に残された。

《SSS級〈帰名の札〉/世界で忘れられた名を一つ、本人へ返します》