名前札の裏側
大庭柚希の一日だけの外出には、猫を連れていけなかった。
病院から許されたのは本人だけで、猫の麦は友人の部屋で預かってもらっている。これからもそのまま暮らすことが決まった。友人は「いつ返してもいいよ」と言ったが、返す日が来ないことは二人とも知っている。柚希が今日するのは、麦の首輪につける名前札を作ることだった。
以前の札には、表に「麦」、裏に柚希の電話番号が刻まれている。番号はいずれ解約される。迷子になった時、つながらない番号が首から下がっているのは困る。
駅前のペット用品店には、骨や魚の形をした札が並んでいた。柚希は丸い銀色を選んだ。麦は茶色い毛だから、派手な青より見つけやすい。店員が申込用紙を渡す。
表の名前は同じ。裏へ友人の番号を書く時、柚希は一桁だけ間違え、二重線で消した。新しい用紙をもらうほどではないと思ったが、彫刻機は書いた通りに刻む。結局、店員から二枚目を受け取った。
機械はガラスケースの中で細かく動いた。銀の表面へ針が触れるたび、白い線が増える。柚希は椅子に座り、友人から届いた麦の動画を見た。猫は窓辺であくびをし、画面の外へ歩いていく。音声には友人が掃除機を止める音だけ入っていた。
完成した札の裏を確かめ、柚希は店の電話を借りて番号へかけた。友人のスマートフォンが鳴り、「はい」と出る。確認だけ、と言ってすぐ切った。
友人の部屋へ着くと、麦はベッドの下にいた。柚希が呼んでも出てこない。入院前は玄関まで迎えに来たのに、今はこの部屋の掃除機や冷蔵庫の音を、自分の家の音として覚え始めている。
無理に抱かず、床へ座って待った。麦が出てきたのは十分後だった。柚希の膝を避け、友人の足へ体を擦りつける。柚希はその隙に、古い札の輪を外した。
新しい札の表を上にし、首輪の金具へ小さな輪を通す。指が滑り、二度落とした。友人は拾うだけで、代わらなかった。
最後に輪を爪で押し込み、隙間をなくす。麦が首を振ると、銀色の札が一度鳴り、裏側の新しい番号が毛の中へ隠れた。