味噌汁の濃さ
敦が実家へ戻ったのは、婚約がなくなった翌朝だった。荷物はボストンバッグ一つ。連絡もせず玄関を開けると、台所に瑛太がいた。
瑛太は母の再婚相手の息子で、敦より五つ下だ。再婚当時、敦は二十歳で家を出る直前だったから、同居は三か月だけだった。瑛太にとって敦は、たまに帰ってくる不機嫌な客に近い。
「母さんたち、旅行」
「知ってる」
「いつまでいる」
「決めてない」
瑛太はそれ以上聞かず、味噌汁の鍋を火にかけた。具は豆腐とわかめだけ。敦が味見すると、ほとんど湯だった。
「薄い」
「血圧高いから、父さん」
「今いないだろ」
「癖になった」
敦は味噌を少し足した。瑛太が無言でお玉を奪い、湯を注ぎ足す。二人は鍋を挟んで押し問答をした。
「食う人間に合わせろ」
「帰ってくる人間に合わせてる」
「俺は帰ってきた」
「急に濃くするな」
言葉が刺さり、敦は手を離した。瑛太も言いすぎた顔をしたが、謝らなかった。
二人で朝食を作った。敦が鮭を焼き、瑛太が卵を巻く。卵焼きはきれいだった。敦は自分の分を一切れ食べ、残りを瑛太の皿へ置いた。
「甘いの苦手」
「知ってる」
「三か月しかいなかったのに」
「冷蔵庫のプリン勝手に食う人のことは覚える」
敦は笑いかけて、うまく笑えなかった。婚約者と暮らすはずだった部屋は、今週中に解約しなければならない。実家へ戻るつもりはなかったが、行く場所も決めていない。
食後、瑛太は炊飯器の残りを二つの容器に分けた。一つを冷蔵庫へ、もう一つを冷凍庫へ入れる。
「冷蔵の方、昼」
「おまえの?」
「俺は大学で食う」
「じゃあ」
「バッグ置くなら二階。元の部屋、物置だけど」
敦が二階へ上がると、自分が使っていた部屋には段ボールが積まれていた。けれど窓際だけ、布団一枚分の床が空けてある。瑛太が昨夜片づけたように、埃の線が途中で切れていた。
夕方、敦が解約の電話を終えて台所へ降りると、炊飯器の予約ランプが点いていた。二合。両親が帰るのは三日後だ。
鍋の味噌汁は朝より少し濃くなっていた。瑛太はまだ帰っていない。敦は火を止めず、豆腐をもう半丁切って入れた。