夏の洗面台
真夏になると、猫の「寒天」は洗面台で眠る。
白い陶器が冷たいからだ。飼い主の百花が歯を磨こうとしても、丸い身体が排水口を塞いでいる。
「名前どおり涼しそうだね」
寒天は尾だけ動かす。
朝、百花は台所の流しで顔を洗う。帰宅後も手を洗うのは風呂場だ。洗面台は一日中、猫に貸したままになった。
八月、妹の布由が赤ん坊を連れて泊まりに来た。赤ん坊の沐浴に洗面台を使いたいという。
寒天を抱き上げると、不満そうに鳴いた。代わりに冷却シートを敷いた箱を置いても入らない。
赤ん坊を洗う間、寒天は廊下から見ていた。湯を張った洗面台には小さな足が浮き、石鹸の甘い匂いがする。
沐浴が終わり、水を抜く。陶器にはまだ湯の温度が残っていた。
寒天はすぐに飛び乗らず、縁を嗅いだ。いつもの冷たさではなく、赤ん坊の石鹸と温かい水の匂いがする。
夜、百花が覗くと、寒天は洗面台の隣の籠で眠っていた。中には赤ん坊が使ったタオルが入っている。
翌朝、陶器は冷たさを取り戻した。寒天はまた中央へ丸くなったが、籠のタオルを一枚引き込み、腹の下へ敷いていた。
百花は台所で歯を磨きながら笑った。窓の外では蝉が鳴き、洗面所から石鹸と日に温まった猫の匂いが流れてきた。冷たい場所にも、少しの温度は必要らしい。
赤ん坊が帰ったあと、布由から写真が送られてきた。猫の柄の寝巻を着て、同じように丸く眠っている。百花は寒天へ見せたが、画面を嗅いで去った。九月、涼しくなると猫は洗面台を使わなくなり、赤ん坊のタオルを敷いた籠へ移った。百花は久しぶりに鏡の前で歯を磨く。空いた陶器へ水滴が落ち、夏の冷たさを思い出させた。籠のほうからは、洗い重ねて薄くなった石鹸と猫の体温の匂いがした。
夜、百花は籠のそばへ冷たい水を一皿置いた。寒天は飲んだあと、濡れた顎をタオルへ押しつける。石鹸の香りに水の匂いが加わり、暑い部屋が少し涼しくなった。