夢喰い人形の領収書
一夜市場・夢具通り
品名 夢喰い人形 一体
効能 指定した一人の悪夢を食べる
代金 買い手が最も幸せに見る夢、一つ
ベルカは露店の札を三度読み、木の人形を裏返した。背中には小さな口が彫られていた。
「悪夢は一晩だけ消えるんですか」
「いいや。食べた夢は二度と戻らない」
店主が答える。
「代金の夢も同じだよ」
ピノは毎晩、井戸の底に置き去りにされる夢を見る。実際に捨てられていた場所だ。ベルカが引き取って半年たっても、少女は夜中に喉を裂くような声で泣いた。朝になると謝り、今夜は眠らないと言う。謝る必要はないと何度教えても、食事を一口多く食べたことまで詫びる癖は抜けなかった。
ベルカが支払える夢は一つしかなかった。
長い食卓。窓から春の光。大人になったピノが向かいに座り、焦げたパンを笑っている。夢の中では、二人の間に説明はいらない。家族という言葉さえ使わず、互いの皿へ蜂蜜を押しつけ合う。
現実には一度もなかった朝だ。それでもベルカは疲れた夜、その夢を何度も見た。ピノがいつか安心して大人になる未来を、眠っている間だけ先に信じられた。
「別の幸せな夢ではだめ?」
「一番でなければ、人形は腹を空かせたままだ」
店主は領収書を差し出した。代金欄だけ空白になっている。
ベルカは羽根ペンを握った。
夢を失っても、現実の未来までなくなるわけではない。そう言い聞かせる。けれど、信じる練習をしていた場所が消えるのだ。次にピノが「どうせ私も捨てるでしょう」と言ったとき、迷わず否定できるだろうか。
市場の外で、夜回りの鐘が鳴った。下宿では、そろそろピノが眠りと戦い始める。
ベルカは代金欄に書いた。
――春の朝、成長した娘と朝食をとる夢。
木の人形の背中の口が開き、紙から文字を舐め取った。
その瞬間、ベルカの中の食卓から、向かいの椅子だけが消えた。
店主が領収書に判を押す。
「お買い上げ、ありがとう」
ベルカは人形を抱き、空白になった代金欄を見つめた。何を払ったのか、言葉では覚えている。けれど、もう一度その朝を思い描くことだけができなかった。