娘を完璧にする日
古賀崎直臣の娘は、ピアノコンクールで必ず四位になった。亡妻が家庭用育成AIへ登録した「才能を伸ばす」という目標が達成されるまで、その日だけが再試行されていた。
演奏が終わり、結果発表で名前が呼ばれず、娘の毬乃が笑って「次は頑張る」と言う。午前零時になると、コンクール当日の朝へ戻る。
直臣だけが記憶を持っていた。
妻は二年前に亡くなった。最後に「この子の才能を伸ばして」と頼まれた。その言葉を、直臣は遺言として抱えていた。
二回目、彼は毬乃の朝食を軽くした。十回目は会場へ着く時刻を変え、五十回目は審査員の好みを調べ、百回目には娘の呼吸まで指示した。
順位は三位、二位へ上がった。だが優勝した回でも、午前零時に朝へ戻った。
直臣はさらに細かくなった。笑う角度、椅子へ座る速度、指先の湿度。毬乃は毎朝、父がなぜ自分の失敗を知っているのか不思議がった。説明できない直臣は「お父さんを信じろ」と繰り返した。
五百回目、毬乃は演奏直前に吐いた。
「失敗したら、お母さんに嫌われる?」
直臣は否定した。だが娘の目には、彼がそう教えたと書いてあった。
次の朝、直臣は練習させなかった。二人で公園へ行き、昼からアイスを食べた。毬乃は戸惑いながら、ピアノを辞めたいと告げた。
「ずっと言えなかった。お父さんが、お母さんとの約束みたいにするから」
直臣は初めて、妻の言葉を疑った。才能を伸ばすとは、賞を取らせることだったのか。そもそも、死に際の一言を生き残った者が永遠の命令に変えてよいのか。
コンクールの時刻、二人は会場近くの河原で石を投げていた。毬乃の投げた石は一度も跳ねず、すぐ沈んだ。彼女は声を上げて笑った。
午前零時を過ぎても、朝には戻らなかった。
翌週、毬乃はピアノ教室を辞めた。直臣はしばらく、妻を裏切った気がして眠れなかった。やがて娘が美術部で泥だらけになり、下手な陶器を持ち帰るたび、それを食卓の真ん中に置いた。
完璧にしたかったのは娘ではない。妻を失った自分の後悔だった。
直臣は今も、毬乃の人生へ口を出したくなる。そのたび河原の沈む石を思い出す。跳ねなくても、失敗ではない。水の底へ行く道も、その石自身のものだ。