幸福の前借りメーター

腕輪型のメーターには、「幸福度」と書かれたつまみがあった。

右へ回せば、その時間だけ何をしても楽しくなる。

代わりに翌日、同じ時間だけ喜びを感じられなくなる。

販売員の女性は、人前で明るくいるために使った。

接客の二時間。

会社の宴会の三時間。

休日の友人との集まりにも一時間。

客は彼女を感じのよい人だと褒めた。

友人はいつも楽しそうで羨ましいと言った。

翌日の無感覚は、一人でやり過ごした。

好物を食べても味気なく、音楽を聞いても何も動かない。

借りた幸福の支払いだと思えば耐えられた。

やがて、母との時間にも使った。

病気の母は、見舞いへ来る娘が沈んだ顔をすると心配した。

女性は腕輪を回し、病室で笑った。

母も安心して笑った。

母の誕生日に六時間使った翌日、姉から電話が来た。

母の検査結果がよかったという。

家族は泣いて喜んでいた。

女性も嬉しいはずだった。

けれど心が動かない。

「よかったね」

と言う声が、自分でも他人のように聞こえた。

その夜、母から短い動画が届いた。

病院の廊下を三歩だけ歩き、看護師へ拍手されている。

女性は画面を見ても何も感じなかった。

前日に借りた幸福が、今日の喜びを全部持っていった。

翌朝、腕輪を外した。

仕事では笑えず、客に心配された。

友人の冗談にも反応できない。

何週間も前借りした時間が残っていた。

母の退院日までに戻るか分からなかった。

退院の日、家族が玄関へ集まった。

母は杖をつき、ゆっくり家へ入った。

皆が泣き笑いする中、女性だけ表情を作れなかった。

母は腕輪の跡へ気づいた。

「笑わなくていいよ」

そう言って、娘の手を握った。

その温かさも、最初はただの温度だった。

それでもしばらくすると、胸の奥でごく小さなものが動いた。

幸福と呼ぶには弱い。

安心に近い、静かな感覚だった。

メーターは大きな喜びを前借りできても、誰かの手の温かさまでは完全に支払いへ回せないらしい。

女性は腕輪を処分した。

仕事では機嫌の悪い日もあると伝え、友人には集まりを断ることを覚えた。

母の調子が悪い日は、一緒に落ち込んだ。

半年後、母が庭で最初の花を見つけた。

女性は笑う前に、じわりと嬉しくなった。

つまみを回さず届いた喜びは小さい。

だが翌日になっても、少し残っていた。

幸福は、一度に増やすものではなかった。

今日の分を今日感じ、足りない日は誰かの隣で待つものだった。