弦を張る指
楽器店「オクターブ」に、ローン会社の査定員が来る前夜、宮嶋景吾と村瀬は返却されたギターを整備していた。売れれば家賃の一部になる。傷が増えれば、ただの在庫になる。
六弦は錆び、ネックは少し反っていた。宮嶋が古い弦を切り、村瀬が指板を磨く。二人はかつて同じバンドにいた。解散の夜、宮嶋が「店もバンドも、しがみつくほどじゃない」と言い、村瀬はそれ以来、彼の演奏を聞こうとしなかった。
「一弦から張る?」
「六弦から」
「前は逆だった」
「前は切れた」
村瀬の言葉は短い。宮嶋はペグへ弦を通し、余りを指に巻いた。村瀬がネックの反りを見て、六角レンチを少しだけ回す。締めすぎれば木が割れる。店の経営と同じだ、と宮嶋は思ったが、口にはしなかった。
一本ずつ張り、音を合わせた。新しい弦はすぐに伸びる。チューナーの針が中央へ来ても、しばらく弾けばまた下がった。二人は何度も巻き直した。
「査定、いくらだろう」
「期待するな」
「売れたら給料出る?」
「店長に聞け」
村瀬はそう言いながら、自分の予備ピックを宮嶋へ渡した。宮嶋がコードを鳴らす。店内のアンプは電源を落としていたが、生音は棚の隙間を抜けた。村瀬は二小節目から別のギターで重ねた。曲になる前に、二人とも止めた。
調整を終え、査定用の札を付けた。明日売られれば、このギターは店から消える。店も来月には、棚ごと消えるかもしれない。
宮嶋はロッカーから自分の古いギターケースを出した。バンド解散後、売るために持ってきたものだ。買取票へ名前を書きかけ、ペンを置いた。
ケースを開け、ギターを壁のフックへ掛ける。商品棚ではなく、修理待ちの楽器を置く作業場の壁だった。村瀬は何も言わず、白い札に「調整中」と書いた。
「期限は?」
宮嶋が聞くと、村瀬は日付欄を空けたまま札を結んだ。
店を出たあと、宮嶋はケースだけを持っていることに気づいた。中身のない軽さが、以前ほど怖くなかった。明日、査定員より先に店へ戻れば、あのギターの弦をもう一度伸ばせる。