情状酌量ゼロ

伏木田圭那は、感情を切ってから名判事と呼ばれた。

量刑のばらつきをなくすため、重大事件を担当する裁判官には共感抑制チップが支給される。被告の涙にも、遺族の叫びにも引きずられず、前例と証拠だけで判断する。圭那の判決は控訴で覆ることが少なかった。

ある日、七十四歳の女性が窃盗罪で法廷に立った。認知症の夫へ未承認薬を買うため、勤務先の介護施設から現金を盗んだ。被害額は百二十万円。女性は罪を認め、夫はすでに亡くなっていた。

検察は実刑を求めた。弁護人は介護疲れと孤立を訴えた。圭那のチップは、どちらの声にも同じ距離を保たせた。計算上の適正刑は懲役一年八月だった。

判決前夜、圭那の母から電話が来た。父の介護を一人で続ける母は、同じ話を三度繰り返したあと、「今日、財布からお金を取った」と告白した。

「自分の財布でしょう」

「お父さんが、私を泥棒だって怒るから。私までそう思えてきたの」

圭那は適切な相談窓口を案内し、通話を終えた。胸は静かだった。静かすぎて、母の声が法廷の女性と重なったことさえ、単なる類似として処理できた。

翌朝、被告が最後に言った。

「夫が死んでほっとしました。そんな自分がいちばん許せません」

傍聴席がざわめいた。圭那のチップは嫌悪も同情も遮断した。だからこそ、彼女は疑問を持った。感情を消した自分は、本当に公平なのか。疲れ果てた人の「ほっとした」を理解できない者が、事情を量刑へ入れられるのか。

圭那は休廷し、初めてチップを解除した。

被害施設の利用者が困ったことへの怒り。夫を失った被告への憐れみ。自分の母を放置している罪悪感。相反する感情が押し寄せ、判断は以前より難しくなった。

判決は執行猶予付きとし、返済と地域奉仕を命じた。前例から外れる理由を、圭那は長い文章で説明した。感情があるから軽くしたのではない。感情によって見えた事情を、証拠と同じように検討したのだと。

判決後、圭那は重大事件部を離れた。母の家へ通い、父の介護を分担した。腹が立ち、泣き、時には逃げ帰った。

後輩から「感情は判決を曇らせませんか」と聞かれると答える。

「曇らせる。だから拭きながら見る。目を閉じるより、ずっと手間がかかるけれど」