持ち帰るための名札
柏木祈織が親族紹介の途中で部屋を出たとき、葛城真奈は追うべきか一秒迷った。
祈織を育てたのは、母の妹の佐知と、その伴侶の礼子だった。二人とも今日の式に来ている。けれど司会者は、佐知を「新婦の叔母」と紹介し、隣の礼子には「ご友人」とだけ言った。名前さえ呼ばなかった。
廊下の突き当たりで、祈織は壁にもたれていた。
「彼、知ってた」
親族が戸惑わないようにと、新郎の両親が紹介文を書き替え、新郎は了承していたらしい。籍が入っていないなら家族ではない、と。
真奈にも、かつて似た感覚があった。子どものころから血縁と戸籍で親族を覚えてきたから、祈織が二人をそろって「母たち」と呼ぶのを、少し無理のある言い方だと思ったことがある。悪気なく「どっちが本当のお母さん役?」と聞いて、祈織を黙らせたこともあった。
だから、祈織の怒りを全部わかったとは言えない。
真奈は会場責任者から親族紹介の原稿を借りた。礼子の欄には鉛筆で「友人」と書き込まれ、元の文章が修正テープで消されている。光に透かすと、《新婦を育てた家族 森下礼子様》の文字が薄く見えた。
「これ、戻す?」
祈織は首を振った。
「もう紹介はいらない。二人を帰したい」
真奈は説得せず、まずクロークへ行った。佐知と礼子のコートを受け取り、二人分の引き出物を紙袋へまとめる。祈織は控室から礼子の薬と佐知の眼鏡ケースを持ってきた。長く座らせないため、配車アプリで車も呼んだ。
待つ間、親族控室の名札が一枚足りないことに気づいた。礼子の席だけ、白紙だった。
真奈は受付の筆ペンを取り、「森下礼子」と書いた。字が太くなりすぎたので、祈織が隣で二枚目を書く。今度は細すぎた。二人は三枚目を机に置き、片方ずつ紙を押さえて、真奈が姓を、祈織が名を書いた。
完成した札を礼子へ渡すと、彼女は何も聞かず、紙袋の外ポケットへしまった。
祈織は式を中止すると新郎へ伝えた。佐知は祈織の頬に触れようとしてやめ、代わりにドレスの肩から落ちかけた布を直した。礼子は自分のコートを着て、祈織の財布を預かった。
車が着く。真奈は後部座席のドアを開け、祈織は二人の荷物を載せた。
祈織が乗り込んだあと、真奈も助手席へ座った。家族の定義はまだ同じではない。それでも、呼ばれなかった人の名前を持ち帰るために、四人は同じ車を選んだ。