敵国語の門札

停戦の翌月、敵国側の村から避難民が西門へ押し寄せた。

門兵は荷を三度調べ、通行銭を五倍取り、読めない申請書を突き返した。

「敵だった者を簡単に入れられるか」

兵たちは当然のように言う。

その朝、敵国の母親が抱く赤子の熱は高かった。だが列を抜ければ密入国者扱いになる。イスカはまず医療優先札を作り、門医の確認があれば検査順を変えられることも全員共通の規則に加えた。

守備隊長イスカは、門前に三本の横線を引いた。

第一線で氏名と人数。第二線で武器と危険物。第三線で家畜と病人。検査は全員この三つだけ。徒歩は無料、荷車は車軸一本につき銅貨一枚。払えない者の荷を没収せず、町で最初に得た賃金から分割できる。国籍による追加銭は禁止。徴収額は門の修繕と通訳料にのみ使い、毎週掲示する。

「敵国語の名など読めません」

書記が抵抗した。

避難民の老教師が、小さく手を挙げた。

「私なら両方書ける。雇ってもらえるなら」

イスカは日当を帳簿に記し、門銭から支払うと公開した。

無償奉仕を求めなかった。それでも老教師は仕事が終わった後、若い門兵に敵国語の数字を教えた。門兵も代わりに、この国の申請文の書き方を教えた。

三日後、検査待ちの列は半分になり、赤子は診療所から母親の腕へ戻った。

荷車の底から短剣が見つかったときも、持ち主が地元商人だったため同じ規則で没収された。避難民だけを疑う仕組みではないと、門前にいた全員が知った。

一週間後、門の蝶番が壊れた。

修繕費は掲示どおり集まっている。地元の鍛冶屋が金具を作り、避難民の車大工が取りつけた。二人とも正規の代金を受け取り、その一部を門銭として戻した。

夕暮れ、新しい門札が掛かった。

上段にはこの国の文字、下段には敵国の文字。どちらも同じ大きさだった。

門兵が声に出して読もうとして、下段でつかえる。

老教師が一音だけ助けた。

『西門――武器は預ける。名前は捨てなくてよい』

その日、門は日没まで一度も閉じなかった。