春菊の向こう側

新田千早は、鴨鍋に浮いた春菊を、避けずに自分の皿へ取った。

苦い葉は昔から苦手だった。大学時代の友人たちは覚えていて、鍋会ではいつも千早の前だけ春菊を置かない。今夜も友人が取り除こうとしたが、千早は箸で押さえた。

来月、親友の結婚式がある。千早は受付、余興動画、二次会の店探しまで任されている。親友は悪気なく「千早なら安心」と言った。

グループチャットには毎日、新郎の好みに合わせた修正が届く。断る文面を書いては、親友の喜ぶ写真を見て消した。協力しないことと、結婚を祝わないことが同じに見えるのが怖かった。

けれど千早は、その式へ出たくない。

新郎は、以前の職場で千早に何度も個人的な連絡を送り、断ると仕事を外した上司だった。親友には一度だけ伝えようとしたが、「不器用なだけだよ」と笑われ、それ以上言えなかった。その後も新郎の名前を見るたび、当時の通知音だけが記憶の中で鳴った。

鍋から鴨の脂の香りが立った。春菊の茎は噛むと固く、葉の苦みが口へ広がった。千早は水を飲まず、一本を最後まで食べた。

親友が結婚式の進行表を取り出した。千早の名前が五か所にある。鍋の向こうから「頼りにしてる」と言われ、千早は二本目の春菊を皿へ取った。

今度は、茎だけを一口残した。

それを進行表の〈受付〉の欄へ横たえる。緑の線が、自分の名前を隠した。

「私は行かない」

説明は短くした。親友の顔が強張ったので、千早は鞄から保存していたメッセージの画面を見せた。全部は読ませず、差出人と時刻だけで十分だった。深夜二時台の連絡が何十件も並んでいた。

友人たちの一人が進行表から千早の名前を消した。親友はしばらく箸を置いたまま、最後に新郎の名前があるスマートフォンを伏せた。

謝罪も結論も、その場では出なかった。

千早は皿に残した茎を食べなかった。苦いものを克服した証明より、飲み込まなかった一口のほうが大切だった。

帰り際、親友から〈話を聞かせて〉とだけ届いた。千早はすぐ返さず、鍋の向こう側に置いてきた自分の席を、初めて自分のために空けておいた。