最後の回覧板
安西美琴の部屋には、町内会の回覧板が四日も置かれていた。表紙に赤い字で「至急」とあるのに、読む気になれなかった。内容は資源ごみ置き場の変更だけだった。
午後、マロンの検査が終わるまでは、もっと大事な知らせがあると思っていた。けれど医師の説明は短く、明日の朝まで穏やかに過ごすことだけを勧められた。
次の家は三軒先。回覧板を届けるのは、マロンと歩く最後の用事にちょうどよかった。
美琴は板を脇へ抱え、老犬の背中へ薄いコートを着せた。外へ出ると、マロンはいつもの散歩道である左へ曲がろうとした。次の家は右だ。美琴がリードを引くと、マロンはその場で考え込み、しぶしぶ右へ向いた。
一軒目の門柱には新しい宅配ボックスがあり、二軒目の庭では洗濯物がまだ揺れていた。マロンは両方で足を止めた。たった三軒が遠い。美琴は回覧板の角が腕へ食い込むたび、持ち替えた。
次の家の玄関には「夜勤中・チャイム不要」と札が出ている。回覧板は郵便受けへ入らない大きさだった。いつもならドア横のかごに置くが、雨が降り始めている。
美琴は透明なビニール袋を持ってくればよかったと思った。マロンの散歩バッグを探ると、未使用の排泄物用袋が一枚ある。小さすぎるが、回覧板の上半分だけなら覆える。
表紙を袋へ差し込み、輪ゴムで留める。資源ごみ置き場の地図だけは濡れない。美琴は板をかごへ立てかけた。マロンは玄関マットの端を嗅ぎ、座り込んだ。
雨粒がコートに点を作る。抱いて帰ろうと腕を伸ばすと、マロンは自分で立った。三軒分の帰り道くらいは歩くつもりらしい。
板のクリップには、先月の紙が一枚挟まったままだった。美琴は雨に濡れないようそれも袋の内側へ押し込み、輪ゴムを二重にした。マロンは待つ間、玄関灯へ集まる小さな蛾を目で追い、飛び立つたび鼻先を少し上げた。
美琴は空になった腕を下ろし、かごの中の板をもう一度押した。回覧板が底へきちんと収まり、赤い「至急」の文字だけが袋越しに残った。