未読ページの告白

二十時五十分。和久井智紀は古書店のカウンターで、佐和田沙都から一冊の文庫本を受け取った。閉店まで十分。二人は大学時代、この本の余白へ一行ずつ書き足し、交互に貸していた。講義の感想から夕食の献立まで、口では言えないことを鉛筆で残した。沙都が海外留学を決めた日、智紀は本文より余白のほうが多くなった本へ初めて未来を書いた。返事がなかったため、その一行ごと自分を否定されたと思った。沙都は留学先にも本を持っていき、開かない二ページだけを残して他の余白を何度も読み返した。

今朝、アプリで沙都を見つけた。プロフィール写真には、その色褪せた表紙が写っていた。右へ動かすとマッチし、彼女から〈今夜、売りに行く〉と届いた。智紀は偶然にも、その店で働いている。

「全部消してから売ろうと思った」と沙都が言う。

「鉛筆だからな」

「最後のページだけ、読めなかった」

二百十四ページ。コーヒーをこぼした跡で二枚が貼りつき、開かない。沙都は卒業前、そこを読む前に海外へ行った。智紀は返事が来ないことを、断りだと思った。

「明日、アプリで会った人と食事する」

「じゃあ、その前に過去を処分?」

「そうしたほうがいいでしょ」

智紀は買い取り票へ金額を書いた。友人として無難な値段だった。沙都が店を出ようとしたところで、修復担当の店主が蒸気を当て、貼りついたページを開いた。

余白に、二人の文字が続いていた。

〈卒業しても貸し借りを続けたい〉と智紀。

その下に、にじんだ沙都の字。

〈本じゃなく、生活を半分ずつにしたい〉

彼女は出発前に書き、乾く前に本を閉じたらしい。互いの告白は、同じ染みの上下で重なり、どちらからも読めなかった。

アプリへも九分前のメッセージが遅れて届く。

〈二百十四ページに何もなければ、明日の人へ進みます〉

店の外で、沙都が信号を待っている。智紀は買い取り票を破り、文庫本を胸に抱えて走った。

彼は赤信号の手前で沙都に追いつき、開いた二百十四ページを差し出した。