本人には知らせない手術
百目鬼咲登は、妻と動物病院の獣医が玄関先で話すのを聞いた。
獣医が言う。
「本人には知らせず、明日の朝連れてきてください」
妻がうなずく。
「取ってしまえば、おとなしくなりますか」
「個体差はありますが、今よりは」
「術後、太りやすくなる?」
「食事管理が必要です」
咲登は寝室へ後ずさった。
最近、妻から「落ち着きがない」「夜にうるさい」「食べすぎ」と言われている。まさか本人に黙って手術の相談まで。
夕食で慎重に尋ねた。
「夫の身体に関する決定は、夫の同意が必要だと思わない?」
妻は箸を止める。
「急に何」
「取ればおとなしくなる部分があるらしい」
「誰から聞いたの」
「壁には耳がある」
「あなたは壁じゃないでしょう」
妻は曖昧に笑い、話題を変えた。その態度が、咲登の疑いを深めた。
彼は友人へ電話した。
「明日、無断で手術される」
『何を取るんだ』
「そこを口にする勇気がない」
『病院は?』
「動物病院」
『その時点で気づけ』
「獣医は哺乳類に詳しい」
『人間も哺乳類だが診療対象ではない』
翌朝、妻は「少し出かける」と言い、車の鍵を持った。咲登は戸口をふさぐ。
「逃げない。だが説明してくれ」
「何の?」
「術後の食事まで管理するんだろう」
「当然よ」
「私をおとなしくしたいのか」
「できるなら別の方法を探すわ」
「やはり不満が!」
その時、押し入れの中から激しい物音がした。
妻が戸を開けると、灰色のウサギが飛び出した。先週保護したばかりで、咲登には「里親が決まるまで」としか伝えていなかった。
妻はウサギを抱く。
「この子の去勢手術。怖がるから、本人には知らせないの」
「本人って、この子?」
「あなたに知らせない理由はないでしょう」
獣医も迎えに来て、咲登を見た。
「ご主人も診察をご希望ですか」
咲登は両手で首を振った。
妻はキャリーケースを持ち上げた。
「留守番中、この子の牧草をお願い」
「術後は私が看病する」
「急に当事者になったわね」
「患者でないと分かったから余裕が出た」
手術を免れたのではなく、最初から患者ではなかった。