歌姫が失った最後の一音

聖女アドメラを劇団から追い出した夜、王都一の歌姫は最後の高音を失った。

新作歌劇の初演。歌姫が天井へ声を響かせた瞬間、客席の増幅魔法がその声を十倍にして舞台へ返した。喉の奥で何かが切れ、歌は乾いた息に変わる。

楽団は演奏を続けたが、次は弦が勝手に震え、照明魔石が破裂した。観客の拍手まで魔力を帯び、役者たちの耳を打つ。劇場支配人ヘルツォは幕を下ろした。

「装置は昨日まで正常だった!」

技師が舞台袖の床を指した。いつもなら白い円が薄く光っていた場所だ。

アドメラは歌姫の喉を治していたのではない。舞台で反響する魔力を床へ逃がし、声、照明、拍手が互いに増幅しないよう整えていた。祈りは開演前に一度だけ。誰も事故を見たことがないため、支配人は「役者でも技師でもない聖女」を切符代の無駄と追放した。

初演は払い戻しとなった。歌姫は一月の沈黙を命じられ、評判を聞いた王族は次の公演予約を取り消した。

増幅装置をすべて切って再開しようとすると、今度は最上階の客へ台詞が届かなかった。支配人は料金を半額にしたが、声を失った歌姫は舞台へ立てない。翌月まで完売していた切符は次々返され、劇場前には拍手ではなく返金を求める列が伸びた。

歌姫の代役を立てても、同じ舞台へ立てば声は跳ね返る。劇団は主役ではなく、舞台そのものを失っていた。

一方アドメラは、郊外の学校講堂で子どもたちの合唱を聞いていた。指導役マルカが、最後まで割れなかった窓を見て笑う。

「この講堂、声を出すと魔石が共鳴して危なかったの。これなら百人でも歌える」

子どもたちは彼女を舞台の中央へ引っ張らず、開演前の点検表へ「聖環確認」という欄を作った。アドメラはその扱いが気に入った。

翌朝、劇団の豪華な馬車が校門へ着いた。ヘルツォが頭を下げる。

「歌姫の復帰公演だけでいい。報酬は主役と同額にする」

アドメラは講堂の鍵を受け取りながら答えた。

「王都劇場の舞台聖環契約は、退団書へ署名した日に終了しました」