水たまりの郵便受け
郵便配達員の逸希は、雨の日には手紙を二重に気遣う。
鞄の蓋を深くかぶせ、濡れた手袋で封筒へ触れないようにする。それでも横殴りの雨では、角に小さな染みができる。
古い団地の一階に、口の閉まりにくい郵便受けがあった。住人の露子は足が悪く、毎朝、配達の時間に玄関近くで待っている。
「今日は濡れちゃうね」
逸希は束の中から絵葉書を見つけた。外国の海が印刷され、孫からのものらしい。透明袋へ入れて渡すと、露子は嬉しそうに表を眺めた。
「向こうは晴れてる」
写真の海は青く、団地の前の水たまりとはまるで違う。
「いい匂いがするよ」
露子が葉書を差し出した。雨とインクの匂いしかしないはずだったが、よく嗅ぐと、微かに香水のような甘さがある。孫が紙へ吹きかけたのかもしれない。
翌日、逸希が来ると、郵便受けの蓋が新しく直されていた。露子の息子が応急処置をしたらしい。
「これで手紙が濡れない」
「露子さんも濡れないで待ってください」
雨の日は続いた。数週間後、同じ海外から小包が届く。中身は分からないが、箱の隙間から柑橘の香りがした。
露子は玄関先で開け、中から香りのついた石鹸を一つ逸希へ渡そうとした。規則で受け取れないと断ると、包装紙だけ少し切ってくれた。
逸希は小さな紙片を鞄の内ポケットへ入れた。濡れた町を歩く間、蓋を開けるたび雨の匂いに明るい柑橘が混じった。
梅雨が明ける頃、露子から一枚の絵葉書が届いた。団地の水たまりを自分で撮った写真で、裏には〈こちらの海も青いでしょう〉とある。雨上がりの空が水面へ映り、確かに外国の海に負けない色だった。逸希は配達鞄の内側へ一日だけ挟み、休憩のたび眺めた。柑橘の包装紙は香りを失っていたが、雨で柔らかくなった鞄には、石鹸の清潔な匂いが移っていた。
晴れた日は香りが弱く、雨の日には強く感じた。逸希は理由を考えず、鞄を閉じる。次の家の郵便受けへ向かう足元で、水たまりが空色に揺れていた。