消えなかった一万円札

夕方のスーパーで、石動谷雷蔵は若いレジ係へ指を突きつけた。

「一万円出したのに、千円札として扱っただろ。釣りが九千円足りない。今すぐ返して、迷惑料も出せ」

レジ係は受け取ったのは千円札だと答えたが、石動谷は台を叩いた。

「新人のミスを客のせいにするな。店長を呼べ。警察沙汰にして新聞へ載せてやる」

後ろに並んでいた、作業着姿の巨漢が買い物籠を床へ置いた。吉備津晴路。頭を短く刈り、腕には解体現場の古い傷が走っている。

「一万円札は、あなたの左袖にありますよ」

石動谷の顔が変わる。

「見間違いだ。名誉毀損で訴えるぞ」

吉備津は両手を見える位置に上げた。

「触るつもりはありません。私はあなたの真後ろにいました。札を袖へ滑らせ、千円札を出すところを見ました。店が確認するなら証言します」

店長がレジを停止し、現金を数えた。過不足は一円もない。二度数えても同じだった。天井カメラには、石動谷が一万円札を財布から出しかけた後、袖口へ折り込み、別の千円札を店員へ渡す姿が映っていた。

石動谷は、手品の練習だったと言い出した。

「客を楽しませようとしただけ。若い子が真に受けたんだよ」

レジ係は震えながらも答えた。

「九千円を渡せと何度も言われました」

吉備津は名刺を出した。解体会社の社長であると同時に、地域防犯協会の役員だった。

「同じ訴えが近隣三店で起きています。店員が若い時間帯ばかりです。協会で映像を共有するよう提案します」

店長が警察へ連絡すると、石動谷は出口へ向かった。警備員が止めるまでもなく、袖から折り畳まれた一万円札が床へ落ちた。

周囲の客が一斉に見た。

石動谷は札を拾おうとしたが、警察官が先に透明袋へ入れた。店は金銭要求と威迫の記録を提出し、系列全店での入店拒否も通知した。

レジの精算画面に〈過不足ゼロ〉と表示され、一万円札が証拠番号付きで保全された瞬間、新人のミスを作り上げようとした男だけが、消したはずの札から逃げられなくなった。