消された相談番号

失踪した女性の最後の通報は、番号だけが残っていた。

通信指令課の紅林透は、十二年前の家庭内暴力相談を再点検していた。音声ファイルは「保存期限切れ」で削除済み。だが受付番号の枝番が一つ飛び、削除操作を示す監査符号が残っている。

立会いに来たのは、現在の被害者支援室長・名越小夜子。当時、その通報を受けた巡査だった。

「彼女は夫から逃げたいと言ったんですね」

「記憶にない」

「削除権限を使った記録があります」

名越は端末を覗き込まなかった。

「古いシステムは誤作動が多かった」

透はバックアップ装置から復元した七秒だけの断片を流した。女性の声が、住所ではなく警察官の識別番号を読み上げている。番号は、彼女の夫のものだった。夫は現在、県警本部の警備課長である。

音声の最後に、名越の声が入る。

――その番号は言わないで。迎えに行くから。

迎えの臨場記録はなく、女性は翌朝から行方不明となった。

「あなたが夫へ連絡した」

透の問いに、名越は唇を噛んだ。

「課長は『夫婦喧嘩だ』と言った。上司も、警官の家庭を一般案件として登録するなと。私は相談者を署の裏口まで連れてきた。でも、そこに夫が待っていた」

「引き渡したんですか」

「まさか消えるとは思わなかった」

名越は支援室長として、多くの被害者を救ってきた。壁には感謝状が並んでいる。彼女の失脚は、支援室の信用も、現在保護中の人々の安心も壊す。

「七秒では事件との関係を証明できない」と名越は言った。「公表すれば、被害者が警察へ相談しなくなる」

透は監査画面を見た。復元断片を「破損データ」と処理すれば、今日で終わる。正式証拠へ昇格させれば、削除者、命令者、警備課長へ通知が飛ぶ。

「相談しなくなるんじゃない。相談しても消されると知るんです」

透は枝番の欠落を埋めるように、新しい証拠番号を発行した。七秒の音声へ電子署名を付け、名越の前に表示する。

支援室の内線が一斉に鳴り始めた。

透は受話器を取らず、「削除された通報の復元完了」を確定した。