消しゴムの距離
茅ヶ崎が転校すると知った日、隣の席の男子は消しゴムを半分に割った。
「何してるの」
「貸した分」
「借りてない」
「一年のとき」
「返すの遅すぎ」
割れた片方を、茅ヶ崎の机へ置く。
白い消しゴムは斜めに裂け、端がぎざぎざしていた。そこには鉛筆で小さく『返却』と書かれている。
「いらない」
「返さないと借りたままになる」
「二年前の消しゴムなんて、もう別物でしょ」
「借りた事実は変わらない」
茅ヶ崎は押し返した。男子も戻す。
休み時間のたび、消しゴムは二つの机の間を往復した。
茅ヶ崎は、転校のことを自分から彼に言えなかった。担任が発表した瞬間、彼は一度だけこちらを見て、それからずっと教科書を読んでいた。
何か言ってほしかった。
「寂しい」とか、「連絡して」とか、ありふれた言葉でよかった。
けれど出てきたのは、消しゴムの返却だった。
六時間目、茅ヶ崎はその半分でノートの文字を消した。
『来週』
転校後には存在しない予定だった。
強くこすると、紙が薄くなった。
放課後、男子が訊いた。
「消える?」
「普通」
「じゃあ返却完了」
「これで終わり?」
「何が」
「何でもない」
茅ヶ崎は鞄へ消しゴムを入れた。
翌日、最後の登校日。
机の中を空にすると、男子が自分の半分を差し出した。
「今度は交換」
「同じじゃない?」
「割れ目が合う」
二つを合わせると、確かに元の形へ戻った。真ん中に細い線が残る。
男子は片方を茅ヶ崎へ戻し、もう片方を自分の筆箱へ入れた。
「向こうで使い切ったら?」
「そっちも使い切る」
「先になくなったほうが負け」
「何の勝負」
「連絡する理由」
ようやく、それらしい言葉が出た。
茅ヶ崎は笑った。
転校先の最初の授業で、漢字を一つ間違えた。消そうとして、手を止める。
白い半分は、まだ新しい筆箱の中にあった。
使えば減る。使わなければ、字を間違えたままになる。
茅ヶ崎は少し迷い、端で一度だけ消した。
消しゴムの距離が一ミリ縮まった。
その夜、写真を撮って送ると、すぐに返信が来た。
『こっちは二ミリ。俺の勝ち』
別れたあとの会話は、減っていくものから始まった。