深夜便のシフォン

飛田千夏は、空港の売店で給料日を迎えた。

客室乗務員として採用されて半年。初任給で両親へ航空会社の模型を贈った日の写真が、今も家族の共有アルバムの表紙になっている。母は毎月の給料日に、次はどこの土産がほしいと冗談を送ってきた。けれど初めて強い乱気流に遭って以来、機内へ入ると指が震える。今月は地上業務へ回され、搭乗口で深夜便を見送ってばかりいた。

家族には、空を飛び回っていることになっている。母は近所へ制服姿の写真を見せ、父は行き先を地図へ印をつけている。飛べなくなったとは言えなかった。地上勤務を希望すれば、期待を裏切る気がした。

午前零時、売れ残ったシフォンケーキが半額になった。千夏は一つ買い、誰もいない休憩室で紙を外した。

卵のやさしい香りがした。指で押すと、柔らかな生地がへこみ、ゆっくり元の高さへ戻った。

千夏はフォークを使わず、外側の焼けた部分からちぎった。少し弾力があり、噛むと内側の白い生地が軽くほどける。

乱気流の日から、元に戻らなければならないと思い続けていた。飛べていた自分の形へ、何度押されても戻ることが強さだと。けれどシフォンは、完全には同じ形に戻らない。指の跡が薄く残っても、柔らかさは失われていなかった。

半分を食べたところで、千夏は手を止めた。飛べない罰のように甘いものを遠ざけるのではなく、明日も働く人の分として残すことにした。残りを紙で包み直し、中央の穴へ社員証を立てた。翼の徽章が、白い生地の上で不釣り合いに光った。

社内システムを開き、地上職への転換面談を申し込む。退職でも復帰訓練でもない第三の選択を、初めて自分から選んだ。

母への連絡は、「今月は地上の仕事をしている」までにした。震えのことは、まだ書けなかった。

窓の外で深夜便が離陸した。千夏は追わず、残した半分をロッカーへ入れた。

明日の休憩も、この地面の上で食べる。それを敗北と呼ばない給料日が、一度くらいあってよかった。