深夜便を飛ばさない
滑走路の誘導灯が、雨の中で青くにじんでいた。
「一本飛ばせば朝には帳尻が合う。サインしてくれ」
貨物航空会社の営業本部長が、運航許可票と銀色のクリップボードを差し出す。
運航管理者の鷹取美月は、前の人生でその票へ署名した。整備士が報告した異常振動を「経過観察」と書き換え、深夜便を離陸させた。機体は海上でエンジンを損傷し、辛うじて緊急着陸。乗員は助かったが、当局は全機を停止し、顧客と銀行が一斉に離れた。会社は事故から四十日で破綻した。
聴聞会の帰り、空になった格納庫で眠った美月は、出発二十二分前へ戻っていた。
操縦席には機長と副操縦士がすでに座り、家族へ送る短いメッセージを終えたところだった。前回、二人の名は事故速報の最上段に並んだ。利益表には出ない命を、美月はもう見落とさない。
営業本部長が同じ言葉を繰り返す。
「一本飛ばせば朝には帳尻が合う」
美月は許可票を裏返した。
「飛ばしません」
「遅延損害だけで五千万だぞ」
「墜ちれば会社そのものがなくなる」
美月は整備記録の原本を呼び出す。前回削除されたはずの振動データを、今回は会議前に外部保全サーバーへ複製していた。特定回転数で振幅が急上昇している。
「二番エンジンを内視鏡検査。荷物は予備機へ振り替えます」
本部長が机を叩いた。
「顧客には何と説明する!」
「事実を説明します。安全確認のため四時間遅れる、と」
格納庫で点検を始めて十二分後、整備士が金属片を持って走ってきた。圧縮機ブレードの根元に亀裂。あと一度の加速で折れる寸前だった。
美月は欠航理由と写真を顧客へ送った。
前の人生なら午前零時、事故速報の赤い通知が全端末を覆った時刻。今夜の画面には何も赤いものが現れない。
代わりに顧客から返事が来る。
『四時間待ちます。今後も安全判断を最優先してください』
格納庫の奥で、予備機の扉が開いた。
営業本部長は椅子へ座り込み、前回は絶対に言わなかった。
「……止めてくれて、助かった」
美月は銀色のクリップボードへ、初めて「欠航承認」と署名した。