火尾山猫にぬるい水を
火尾山猫イグニスは、王宮の炉を守る魔獣だった。
赤い尾が燃えるほど国は栄えるとされたが、夏の終わりから炎が荒れ、近づいた鍛冶師を何人も追い払った。宮廷魔術師は氷鎖で冷やそうとし、かえって火柱を上げさせていた。
盲目の楽器調律師イーザンは、炉の隣室に置かれた王家の竪琴を直しに来ていた。目は見えなくても、彼には猫の呼吸が聞こえる。怒りの唸りではない。舌が乾いて上顎へ張りつく音だった。
「水を飲んでいない」
魔術師たちは笑った。火の獣に水など与えれば消える、と。
イーザンは杖で床を探り、空の水鉢へ触れた。氷鎖の冷気で表面が凍り、何日も飲めないままだったのだ。
彼は厨房からぬるい水を運ばせた。熱くも冷たくもない、指を入れて心地よい温度にする。
「近づいてくれなくてもいい。ここへ置く」
水音を立てて鉢へ注ぐと、炎の尾が揺れた。イグニスが一歩、また一歩と来る。魔術師が防壁を張ろうとしたが、イーザンは止めた。
山猫は鉢へ顔を落とし、長く水を飲んだ。喉が鳴るたび、荒れていた炎が小さくなる。飲み終えると、熱い鼻先がイーザンの杖へ触れた。
彼は音だけを頼りに手を伸ばす。前足の下で硬いものが擦れる音がした。氷鎖の破片が肉球へ凍りついている。
ぬるま湯で少しずつ溶かし、布で包む。イグニスは一度も爪を立てなかった。
宮廷魔術師が自分の術で鎮めたと主張した時、山猫は彼の氷杖だけを尾火で溶かし、イーザンの足元へ座った。火の契約印が調律師の杖へ走る。
炉の火は弱まるどころか、以前より均一に燃え始めた。水を飲ませれば力を失うという伝承が、ただの思い込みだったと分かる。氷鎖を使った魔術師たちは謝罪し、毎日水鉢を確かめる当番へ加わった。イーザンは足音だけで、誰がさぼったか聞き分けた。
イグニスは彼の膝へ額を押しつけ、低い喉音で竪琴と同じ音を鳴らした。炎色の毛は火傷しない炉端のように温かく、その頭は音のない拍子を刻みながら、頼もしく重かった。