無罪通知の証拠物B
判決言い渡しの五分前、弁護士の鷲尾玄士へ通知が届いた。
〈五十八歳の最高裁判事である君より。証拠物Bを出すな。無罪になる〉
被告は大手建設会社の専務。談合事件で起訴され、玄士の事務所にとって最大の顧客だった。机には黒いUSBメモリ。裁判長が確認する。
「弁護側、これが最後です。追加の証拠はありませんか」
玄士は「ありません」と答えた。五分後、無罪。事務所の代表就任を祝う未来記事が端末に現れ、木槌の音とともに時間が戻った。
〈証拠物Bを出すな〉
「追加の証拠はありませんか」
二度目、玄士はUSBを提出した。中には被告が部下へ価格調整を命じる音声があり、有罪判決になった。だが同じ五分前へ戻る。三度目は証拠能力を争い、四度目は検察へ匿名送信した。差分は判決理由だけで、どちらの判決でも時間は戻った。
未来の自分が成功条件を送る。
〈無罪確定後、証拠物Bを破壊する〉
黒いUSBは、事件担当だった若手弁護士が被告の会議室で見つけたものだ。守秘義務を理由に事務所の金庫へ隠され、若手は抗議して退職した。未来の玄士は無罪判決の実績で法曹界を上り、やがて最高裁判事になる。証拠が残れば、その経歴ごと崩れる。
十一回目、裁判長が尋ねる。
「弁護側、これが最後です。追加の証拠はありませんか」
玄士は立ち上がり、黒いUSBを掲げた。
「あります。ただし、提出する資格が私にあるかは疑わしい」
入手経緯、事務所が隠した期間、自分が十回にわたり提出を避けた未来通知まで、書面にして裁判所と弁護士会へ渡す。守秘義務違反、証拠隠滅への関与、業務停止。無罪を失うだけでなく、玄士自身も法廷の外に立つことになる。
未来から通知が三度届いた。
〈黙れば判事になれる〉
〈法は地位がなければ変えられない〉
〈私を消すな〉
玄士はUSBを証拠台へ置いた。
「地位を得るために曲げた法で、あとから何を直せるんです」
裁判長は審理再開を宣言し、判決言い渡しを取り消した。無罪も有罪も確定しないまま、法廷時計が五分先へ進む。
事務所から解任通知が届いた。最高裁判事の未来記事は消え、端末の肩書欄にはただ〈弁護士資格審査中〉と残る。
玄士は空になった手を見た。証拠物Bを守ったのではない。自分が無罪でいられる未来を、証拠台へ差し出したのだ。