犬だけが知る近道

鴫原恵麻の犬は、十七歳の冬、散歩の途中で知らない路地へ入った。

名前はポテト。雑種。耳が片方だけ立ち、若い頃は自転車を追いかけた。今は百メートル歩くたびに休む。

獣医には、今夜が峠かもしれないと言われていた。

「帰ろう」

恵麻がリードを引いても、ポテトは路地の奥へ進んだ。

角を曲がると、雪が消えた。

街路樹は太くなり、空き地には家が建っている。電柱の広告に、十年後の日付があった。

ポテトがリードを張っているあいだだけ、未来へ来られるのだと恵麻は分かった。

向こうから、四十歳の恵麻が歩いてきた。

小さな白い犬を連れている。未来の恵麻は、老いたポテトを見るなり、口を押さえた。

「まだ歩けたんだ」

現在の恵麻は腹が立った。

「その犬、何」

「こむぎ」

「ポテトが死んだら、すぐ次を飼うんだ」

未来の恵麻は首を振った。

「七年、飼えなかった」

白い犬がポテトの鼻へ近づく。ポテトは面倒そうに一度だけ匂いを嗅いだ。

「忘れた?」

恵麻が聞く。

「毎日思い出す時期は終わる」

「じゃあ忘れるんじゃん」

「思い出さなくても、一緒にいたことがなくならない時期が来る」

未来の恵麻はしゃがみ、ポテトの耳に触れた。

「最後の夜、もっと何かしてあげればよかったって、十年考えた」

「何をすればいい」

「何もしなくていい。散歩を急がせないで」

ポテトがその場に伏せた。リードが少し緩む。

未来の景色が薄くなった。

未来の恵麻は慌てて、白い犬のリードを現在の自分へ差し出した。

「一度だけ、挨拶させたかった」

二匹は鼻を合わせた。

ポテトが立ち上がり、もう一歩進む。リードが張る。未来が戻る。

それから老犬は、路地の出口までゆっくり歩いた。

最後に恵麻を見上げ、力を抜いた。

雪の夜へ戻る。

恵麻はポテトを抱き上げた。家まで三十分かかった。途中で何度も立ち止まり、急がなかった。

ポテトは明け方、恵麻の腕の中で眠った。

七年後、保護施設で白い子犬に会ったとき、恵麻はすぐ名前を決めなかった。

子犬のほうから鼻を寄せてきた。

その挨拶だけは、初めてではなかった。