猫窓の午後
玖珂原理央は、保護猫施設「ひだまり舎」へ月に二度通う。
猫を飼う予定はない。賃貸住宅は動物不可で、仕事も不規則だ。
それでも午後の一時間、猫部屋の窓際へ座り、何匹かの猫と同じ光を分ける。
施設では、触りたくない猫を追わない決まりがある。
理央はそれが好きだった。
人のいる場所では、愛想よくし、会話を続け、沈黙を埋める。猫部屋では、近づいてこない相手へ何もしなくてよい。
ただ座り、来た猫だけを撫でる。
黒猫の煤は、理央の膝へ乗らない。
窓枠の端からこちらを見ているだけだ。
理央も手を伸ばさず、文庫本を読む。
頁をめくるたび、煤の耳が少し動いた。
ある日、スタッフが言った。
「煤、来月譲渡会へ出ます」
「そうですか」
よかったと思うべきなのに、理央の声は少し平たくなった。
「寂しいです?」
「私は飼えないので」
「飼う人だけが、ここで大事なわけじゃないですよ」
スタッフは猫の水を替えた。
「何も求めず隣にいる練習を、煤は理央さんとしてるのかも」
譲渡会の前の週、理央はいつもの窓際へ座った。
煤は窓枠にいない。
部屋を探すと、本棚の下へ丸くなっていた。
理央が床へ座ると、煤は少しずつ近づき、足の甲へ前足を載せた。
膝には乗らない。それでも初めて触れた温度だった。
譲渡会で、煤には家族が決まった。
次に施設へ行くと、窓枠は空いていた。
理央はいつもの席へ座り、しばらく何も読めなかった。
やがて白い若猫が本の端を噛み、茶虎が隣の椅子を占領した。
煤の代わりではない。それぞれ違う距離で、同じ午後を過ごす猫たちだった。
帰りにスタッフから、煤の新しい家での写真を見せてもらった。
窓辺の毛布へ座り、相変わらず少し離れたところから人を見ている。
「元気そう」
理央はそれだけ言った。
コートには猫の毛と、施設で淹れた薄い珈琲の香りが残った。
ひだまり舎は猫を持ち帰る場所ではない。
誰かが自分のそばを離れても、次の温かな気配を迎えられるよう、何も急がず座っている場所だった。