玄米を三十回
沢井映子の部屋へ戻ると、台所の灯りだけが点いていた。
午前一時。ルームメイトはもう眠っている。テーブルには玄米のおにぎりが一つと、〈家賃のこと、急がなくていい〉というメモがあった。
映子は今月の家賃をまだ渡していない。出版会社の契約が減ったせいだと説明したが、本当は消費者金融の返済へ回した。最初は、祖母の入院費を立て替えるための五万円だった。その次は返済日のための三万円。借りた金で別の借金を埋め、封筒は机の鍵付き引き出しへ増えていった。
ルームメイトには、来月まとめて払うと言った。信じてもらえたことが苦しかった。知られれば部屋を出るよう言われるかもしれない。それ以上に、心配されるのが怖かった。助けを求めた瞬間、自分の失敗が本物になる。
ルームメイトは、映子が遅く帰る夜には廊下の灯りを残し、家賃の振込が遅れても一度も催促しなかった。その信頼を利用していると思うほど、真実から遠ざかった。督促状が届く日は先に郵便受けを確認し、封筒を鞄の底へ隠した。共同生活の中で、映子の机だけが鍵のかかる場所になっていた。
玄米のおにぎりは、指で押してもほとんどへこまなかった。穀物の香りがして、噛むと粒の硬さが残る。
母は、玄米は三十回噛めと言った。映子は数え始めた。十回ではまだ粒がある。二十回で甘みが出る。三十回まで噛んで飲み込むと、次のひと口を急いで口へ入れる気が失せた。
借金は、急いで隠すほど増えた。返事を急ぎ、別の借入先を探し、明日だけを通り抜けてきた。玄米は、その速さでは飲み込めなかった。
映子は二口目も三十回噛んだ。最後に小さなひと口を残し、包み紙へ置く。
鍵付きの引き出しを開け、督促状と利用明細をすべて出した。テーブルに日付順で並べ、その上へ空に近い包みを載せる。メモの裏には〈朝、これを見てから話したい〉と書いた。
残したひと口は冷蔵庫へ入れなかった。明細の横へ置き、逃げずに朝までここにある目印にした。
映子は台所の灯りを消さず、自分の部屋の鍵だけを開けたままにした。