王女の麦わら帽子
王位継承争いに負けたアリアドネは、処刑の代わりに辺境の蓮池を与えられた。
「泥の中で反省なさい」
姉王の言葉を思い出しながら、彼女は初日の朝から麦わら帽子を編んでいた。
王女の仕事ではない。けれど池の上に日陰はなく、釣りをするには必要だった。侍女も職人もいないので、自分で葦を裂き、輪にして重ねる。最初は歪み、被ると片側へ傾いた。
鏡がないので、それで困る者もいなかった。
帽子が完成すると、アリアドネは池へ竿を出した。餌は蓮の葉裏にいた虫。王宮の晩餐では銀器の並びを間違えれば笑われたが、釣り針に虫を刺す作法を知る者は、ここには彼女しかいない。
浮きは長いあいだ動かなかった。王宮なら沈黙は敗北だった。言葉を切らせば、姉や大臣がその隙へ命令を差し込んだ。けれど池の沈黙は何も奪わない。帽子の隙間から落ちる光を眺め、アリアドネは初めて、答えを用意せずに時を過ごした。
日差しが傾き、諦めて立とうとした瞬間、水面が爆ぜた。竿が池へ持っていかれそうになり、アリアドネは両足を泥へ踏ん張る。帽子が飛び、片方の靴が脱げ、それでも糸を離さなかった。
上がってきたのは、王宮の枕ほどもある大きな鯰だった。
「あなた、王族への礼儀がないわね」
鯰は答えず、泥を顔へ飛ばした。
夕暮れ、切り身を香草と一緒に鍋へ入れる。淡白な身から澄んだ出汁が出て、蓮根を加えると甘い湯気が立った。残りは粉をまぶして焼き、鉄板の上でぱちぱち音を立てる。
王都から届いたのは、姉王の急病を告げる継承召集状だった。使者は泥だらけのアリアドネを見て言葉を失ったが、彼女は召集状より、風で飛んだ帽子を拾った。
歪んだ帽子を被り直し、鯰の鍋を椀へよそう。
「王冠より似合いません」と使者がうっかり漏らした。
アリアドネは一口すすり、笑った。
「でしょうね。でも、こちらのほうが軽いわ」
召集状は鍋敷きの脇へ置いた。王座が空くかもしれない夜、元王女は初めて、自分で釣った夕食が冷めることだけを心配した。