生贄を選び直した深淵
「能力なしの娘でも、深淵様の餌にはなる」
祭司長の言葉とともに、相馬環の足元の祭壇が開いた。
環は召喚された夜、国を救う巫女だと歓迎された。
翌朝の鑑定で力が見えないと、歓迎の花冠は罪人の首輪へ変わった。この国では大凶作のたび、役に立たない召喚者を深淵へ落とす。そうすれば災いが一年延びるという。
祭壇の下は底のない闇。
周囲には痩せた民衆が集められ、祭司たちは金糸の衣を着ていた。環はその衣に、倉庫で見た穀物袋と同じ紋章があることに気づく。消えた救援物資は、神殿へ運ばれていたのだ。
闇から声が響く。
――供物を示せ。
環の視界に能力が現れた。
《供物指名》
成立中の儀式で、代価として最もふさわしいものを一度だけ示す。
祭司長は環の首輪を引き、穴へ突き落とそうとした。
彼女は闇を見下ろし、能力を使った。
「この国から奪われたもの全部。その原因を供物に」
祭壇が黒く光った。
環の身体は落ちない。代わりに祭司長の金衣から、穀物、金貨、治癒薬、偽造された祈願札が影となって噴き出す。ほかの祭司たちからも同じ影が引き抜かれ、空中で一匹の巨大な獣へ膨れ上がった。
飢えと嘘を三百年食べて育った、神殿の守護魔だった。
祭司長が命令すると、守護魔は環へ牙を向ける。
だが深淵から伸びた手が、獣だけを掴んだ。
一度の咀嚼音。
国軍が百年倒せなかった守護魔は、影一片残さず消えた。
同時に神殿の供物計が狂ったように数字を吐く。
《横領穀物・四万七千袋》
《奪取寿命・十二万年》
《適正供物・神殿権限そのもの》
最後の表示で石盤は割れ、祭司長の杖から宝石が落ちた。
闇の底から、今度は穏やかな声がする。
――受領した。巫女よ、代価は足りた。
環の首輪が外れ、祭壇の穴が閉じた。
地面から無数の麦の芽が伸び、痩せた人々の足元を緑に染める。
祭司長は命令を繰り返したが、誰も聞かなかった。
王の代理として臨席していた大公が席を立ち、環へ祭礼用の杖を差し出す。
生贄を見るため集められた民衆は、祭壇の上に残った環へ、救いを乞うのではなく道を尋ねる目を向けていた。