白い器の傷
深町歩乃は、工房の展示棚から自分の器をすべて下ろした。
午前一時。明朝には公募展の搬入車が来る。けれど歩乃は出品を取りやめるつもりだった。
夕方、先輩から「先生の昔の作品に似ている」と言われた。白い釉薬の流れ方も、口縁のゆがみも、たしかによく似ている。真似をした覚えはない。それでも毎日、師の作品を見て、師の言葉で土を選んできた。自分の形だと言い切る自信が消えた。
先輩の指摘は悪意ではなかった。だから反論もしづらい。似ていない証拠を探すほど、師から借りた部分ばかりが見つかり、歩乃は作品票から自分の名まで剥がしかけた。
師は理由を聞かなかった。工房奥の小さなコンロで、きのこのスープを温めた。歩乃が初めて焼いた白い器へ一杯だけ注ぎ、作業台に置く。
器には細い傷があった。焼成の途中で入った貫入ではなく、歩乃が棚へぶつけて作った欠けだ。売り物にならないから捨てようとしたものを、師が「スープなら入る」と残していた。
きのこの香りが静かな工房へ満ちた。欠けた口縁は唇に少しざらつき、歩乃は無意識に傷のない側から食べた。
棚の作品は、床の箱へ伏せてある。白い底ばかりが並び、誰のものか分からない。
半分食べたところで、師は外へ出た。説得も評価もしない。出品するかどうかを、歩乃の前へ置いたままにした。
最後の一口が器の傷側に残った。
歩乃は器を回せば、なめらかな縁から飲める。いつもそうしてきた。失敗した部分を客に見せず、師に似た部分だけを整えて、自分の名を小さく刻んだ。
今夜は回さなかった。
傷へ唇を当て、最後の一口を飲む。ざらつきは消えない。けれど痛いほど鋭くもない。歩乃がつけた傷は、師の昔の器にはないものだった。
空の器を伏せると、底の銘が見えた。修業を始めた年に使っていた、幼い字の「歩乃」。
歩乃は箱から出品作を一つ戻した。口縁へ小さな欠けを入れることはしなかった。代わりに作品票の技法欄から、師が好む言い回しを消し、自分が土を選んだ理由を一行だけ書いた。
戻ってきた師は、空の器を持ち上げ、傷側についたスープの跡を見た。
「そこから飲んだか」
歩乃は頷いた。
師は器を洗わず、出品作の隣へ置いた。
明朝の搬入伝票で、歩乃は作者欄の小さな枠いっぱいに、自分の名を書いた。