白粉の矢羽
木暮千早がつがえた矢には、鷺の羽へ白粉が塗られていた。
夜でも軌道を見せるためではない。敵陣へ届けば、矢を抜いた指に白粉がつく。降伏文を読む相手が、誰であるかを遠目に確かめる印だった。
宵月城は明朝落ちる。城主は西門を開くと偽り、敵将を西の赤幕へ集める。その間に、東の丘へ潜む味方の残兵が敵本陣を焼く。勝つためではない。民が川へ降りる半刻を作るためだ。
問題は、敵将・堂前頼益が影武者を三人使うことだった。
白粉のついた手で文を掲げた者が本物。その姿を東丘の物見が見れば、赤幕へ火矢を集中する。
千早は城壁の狭間から、三つの赤幕を見た。風は横。距離は二百歩。降伏文を結んだ矢は重い。一射しかない。手は乾いていた。外せば交渉は罠と知れ、敵は川門へ回る。二射目をつがえる時間は残らない。
背後で父の木暮重房が言った。
「中央へ射て」
「中央は風下です」
「頼益は風上を嫌う。香を焚く男だ」
千早は答えなかった。父は昼に肩を射られ、血を失っている。目も曇っていた。
赤幕の前へ三人の武者が出た。全員同じ兜、同じ陣羽織。中央だけが右手に扇を持つ。左右は空手。
父が笑った。
「中央だ」
「違う」
千早は左の男を狙った。白粉は矢羽だけでなく、風を読むため指にもつけてある。風上の左幕から、沈香の煙が細く流れていた。香を嫌うのではない。自分の体臭を隠すため、頼益はいつも風上で焚く。
「外せば、城兵の首が先に飛ぶ」
「当てても朝には飛びます」
千早は弦を引き切った。
父が低く問う。
「怖いか」
「矢は怖がらない」
放つ。
白い矢羽が闇を横切り、左の武者の足元へ刺さった。男は自分で矢を抜き、結び文をほどく。指先が白くなった。
東丘の闇で、火が一つ瞬いた。見えたという返事だ。
頼益は文を読み、笑って西門へ兵を集めるよう命じた。白粉の手で扇を振る姿が、松明の前に浮かぶ。
千早は次の矢を取らなかった。役目は一射で終わった。
東丘に青い旗が上がり、同時に宵月城の川門が開いた。