白紙になった侍女

文書庫の最下層で働くベリュネは、消された文字の跡を指先で見つけられた。

灰消しで削られたインクは、別の公文書から一行を代価にすれば戻せる。ただし差し出した一行に書かれた事実は、紙の上だけでなく、王宮の決まりからも消える。

夜半、処分済みの勤務表を抱えて、若い皿洗いが文書庫へ来た。明朝、銀皿を盗んだ罪で城を追われる娘だった。

「この日の配膳庫には、私しか入っていないことになっています。でも違うんです」

勤務表には、娘の名の上に不自然な空白がある。削られた繊維へ灯りを当てると、細い筆圧が残っていた。誰かの名が消されている。

その一行を戻せば、真犯人へ届く。代価にできる公文書は、ベリュネ自身の人事簿しかなかった。ほかの文書を消せば、誰かの婚姻、土地、給与、釈放が現実ごとなくなる。

人事簿の一行にはこうある。

――ベリュネ、文書庫付侍女として採用。閲覧権第三等を与える。

消せば、彼女は王宮に雇われた事実を失う。十年間の給与記録も、寝台も、食事札も、その一行を根にしている。文書庫へ入る権利さえなくなり、魔法を使った直後に侵入者として捕らえられるだろう。

「やめてください」と皿洗いの娘が言った。「追い出されるだけです。死ぬわけじゃない」

「城下で紹介状もなく、盗人の印をつけられて?」

「あなたまで全部失うよりは」

ベリュネは棚を見上げた。王宮では、紙にない者は働いていないことになる。床を磨いた朝も、冬に凍傷を負った夜も、女王から一度だけ礼を言われたことも、誰の記録にも残らない。

けれど目の前の娘も、消された一行のせいで罪人にされようとしている。

ベリュネは自分の人事簿を開き、採用の一行へ指を置いた。

「記録が人を守るためにあるなら、まず今日、そうでなくては」

文字が指へ黒く染み込み、ページから消えた。

同時に勤務表の空白へ、削られた名が浮かぶ。銀器係長。保管庫への入室時刻まで戻り、皿洗いの娘の退室後に鍵を使ったことが明らかになった。

娘が歓声を上げ、表を抱えて階段へ走る。

その直後、文書庫の扉が開いた。夜番の衛兵がベリュネを見つけ、閲覧証を求める。

彼女は胸元を探った。そこにあるはずの木札は、最初から支給されなかった物のように消えていた。

「所属と名を」

名は言えた。けれど所属を証明する一行は、もう世界のどこにもなかった。