白鳥は同じ声で鳴かない

久留島菜摘は、洋菓子店「白鳥」で、白いメレンゲのスワンを一つ買った。

胴は楕円、首は細いS字。左右の羽は同じ型のはずなのに、片方だけ少し低く焼き上がっている。店主は首が折れないよう、薄紙を輪にして支えたが、低い羽を高く見せようとはしなかった。

菜摘は明日、音声広告の最終審査を受ける。一次審査では、自分の低めの声で読んだ。すると担当者から「もう少し若い女性らしく、語尾を上げて」と指示が来た。真似れば出せる声だ。コールセンターで何年も使ってきた、謝るとき専用の声。長く続けると喉の奥が狭くなり、休憩時間には自分の普通の声まで低すぎるもののように感じた。最終審査の見本音声を再生すると、全員が似た高さで笑っている。その列へ入れば安全だと分かるほど、入りたくなかった。

けれどその声で採用されたら、契約期間中ずっと演じ続けることになる。

「羽、直せますか」

菜摘が尋ねると、店主はスワンを見た。

「焼き上がったものは直しません。箱の中で折れないようにはします」

店主は低いほうの羽の横へも薄紙を入れた。高さを揃えるためではなく、動かないための支えだった。そして箱の表へ「上」とだけ書く。どちらが正面かは指定しない。

菜摘は会計後、店内に流れる古いシャンソンへ耳を澄ませた。歌手の声は途中でかすれ、高音が少し裏返る。それでも曲は止まらない。店主は音量を変えず、針が最後まで進むのを待っていた。

店先で審査用の台本を開く。指示欄には「明るく親しみやすく」とある。「高く」とは書かれていない。明るさを、他人の声色で作る必要はないはずだ。

菜摘は録音アプリを起動し、一次審査と同じ声で読み始めた。語尾を無理に持ち上げず、言葉の間を少し短くする。最後まで録り、聞き返してから送信した。

落ちるかもしれない。それでも、採用後に毎日借り物の声を出すよりいい。

箱の中の白鳥は、声を持たない。低い羽も高い羽も、そのまま一羽の輪郭を作っていた。菜摘は箱を傾けないよう胸に抱き、自分の喉で小さく息を吐いた。