目的を忘れない階段札
夜にだけ文字が読める看板店〈梟文字〉へ、王城の使者ケルンが息を切らして現れた。
「階段を上るたび、用件を忘れる」
明朝までに塔の宰相へ休戦命令を届けなければならない。ところが塔の階段には侵入防止の呪いがあり、一段ごとに記憶を一つ落とす。正式な使者であるケルンにも解除鍵は渡されず、「本物ならたどり着ける」と試されていた。三度挑み、三度とも途中で何のために上っているか分からなくなったという。
店主ダグマは木札を一枚、墨壺の横へ置いた。
「〈初志札〉です。命令を代わりに覚える品ではありません。忘れる直前のあなたが、次のあなたへ用件を渡します」
札の表は空白。裏には細い階段が彫られている。
ケルンが「休戦命令を届ける」と書くと、文字はすぐ消えた。
「失敗じゃないのか」
「店の二階で試してください」
奥の階段にも、弱い忘却術がかかっている。彼が一段上ると、顔から焦りが消えた。二段目で立ち止まり、なぜ急いでいたのか首をかしげる。
そのとき胸元の札が軽く鳴った。
表面へ、先ほどの自分の筆跡が浮かぶ。
――休戦命令を届ける。
ケルンは読み、もう一段上る。文字は消え、次の段でまた現れた。忘れるたび、直前の自分から同じ目的が手渡される。二階へ着いたとき、彼は命令書を両手で掲げていた。
「たどり着ける」
「札が示すのは目的だけです。誰の命令か、成功すれば誰に褒められるかは書きません」
ケルンは空白へ目を落とした。そこに残るのは、戦を止めるという一文だけ。試す側への意地も、失敗への恐怖もない。
「それでいい。いや、それがいい」
代金の銀貨五枚を置き、さらに一枚加えた。
「帰り道の分ではありません。塔へ着いたら、この札を宰相の机に置いてくる。人を試す階段より、目的を忘れない札のほうが役に立つと教える代金です」
彼は今度こそ迷いのない足で王城へ向かった。
ダグマが代金を数え終える前に、入口のベルが鳴る。まるで次の用件を届けに来たような、一度きりの音だった。