社宅の合鍵
柊崎晴継は、妻の穂高井麗香から“社宅しか借りられない夫”と笑われていた。
「城戸院部長なら、都心のマンションを現金で買えるのに」
麗香は、比較する相手を隠しもしなかった。城戸院拓臣は晴継の上司で、麗香と同じ企画部の責任者でもある。
晴継が不倫を指摘すると、拓臣は社宅のリビングで笑った。
「ここは会社の物件だ。部下の家庭相談に乗っていただけだよ」
晴継は壁のスマートロックを見た。
「なら、記録を会社に見てもらいましょう」
社宅の鍵は本人、配偶者、緊急管理者の三種類。拓臣が使ったのは、管理者権限で勝手に発行した四本目の合鍵だった。
監査室が取得した記録では、晴継の夜勤日に限り、拓臣と麗香が深夜から早朝まで入室。廊下のカメラには、酒や旅行鞄を持ち込む姿が映っていた。翌朝には麗香が晴継の郵便物を隠す場面まで記録されていた。玄関インターホンの自動録音には、二人の会話も残る。
『晴継が払ってる家賃で会えるなんて、便利ね』
実際には家賃の大半を会社が福利厚生費として負担していた。拓臣は管理職権限を私用し、清掃費まで会社へ請求している。
麗香は、夫が会社へ家庭の恥を売ったと責めた。
監査役は答えた。
「管理者鍵の不正発行、部下への利益相反、経費詐取。家庭の問題にしたのは、あなた方のほうです」
拓臣と麗香は懲戒解雇。会社は不正経費と鍵交換費用を請求し、晴継の代理人は二人へ慰謝料請求を送達した。
麗香の両親も社宅へ来ていた。父は娘へ実家の鍵を返すよう告げる。
「住む場所を馬鹿にした人間へ、うちの家を貸す理由はない」
麗香は晴継にすがった。
「私の配偶者鍵まで消すの?」
「配偶者ではなくなるから」
監査担当が端末を操作する。拓臣の管理者鍵、麗香の配偶者鍵が順に赤くなり、晴継の入居者鍵だけが緑に残る。
〈権限変更、確定〉
電子錠が一度だけ閉まる音を立てた瞬間、社宅しかないと笑われた晴継には住まいが残り、合鍵で入り込んだ二人だけが、会社にも家にも入れなくなった。