祖父の散髪
美容師の蒔人は、月に一度、祖父の源吾の髪を切る。
店へ呼んでも来ないので、実家の縁側へ椅子を出す。新聞紙を首へ巻き、鋏を入れる。
「横は短く、上は残せ」
「残すほどないよ」
毎月同じ会話だ。
源吾は昔、床屋へ行くと必ず熱い蒸しタオルをしてもらったと話す。蒔人は美容室勤めで、顔剃りはできない。
ある秋の日、雨で縁側が使えず、台所で切ることになった。床へ新聞紙を敷き、祖父を座らせる。
祖母が大根を煮る横で、白い髪が落ちる。醤油の湯気と整髪料の匂いが混じった。
切り終えたあと、蒔人は濡らしたタオルを電子レンジで温めた。熱すぎないよう手で確かめ、祖父の首へ当てる。
源吾は目を閉じた。
「床屋のとは違うな」
「悪かったね」
「こっちのほうが、出汁の匂いがする」
翌月から、散髪のあとは温かいタオルが決まりになった。晴れていても台所で作る。
冬、源吾の髪はさらに薄くなり、切る時間よりタオルを当てる時間のほうが長くなった。
蒔人は鋏を片づけ、祖父の肩に落ちた短い白髪を払う。鍋では大根が煮え、温めた布から洗剤と出汁の香りが立った。
春、源吾が床屋の椅子へ行ってみたいと言った。蒔人は勤め先の開店前に祖父を招き、いつもの縁側ではない大きな鏡の前へ座らせた。切る髪は少なくても、ケープをかけ、首筋を整える。最後に店の蒸し器から熱いタオルを出した。源吾は顔へ載せ、長く息を吐く。「出汁の匂いがしないな」。帰りに二人でうどんを食べた。今度は本物の出汁の湯気が、短く整えた白髪と清潔なタオルの香りへ重なった。
店の鏡に映る二人は、家の台所より少し他人行儀だった。蒔人がケープを外すと、源吾は首を回し、「次はまた家でいい」と言う。翌月、縁側には椅子と新聞紙が用意され、祖母の鍋には大根が煮えていた。鋏を開く前から、醤油と出汁の湯気が白い髪へ移る。源吾はそれを嗅いで、やはりこっちが床屋らしいと目を閉じた。