第一土曜日だけ
芽香は父からの七回目の着信で、ようやく電話に出た。
「何度かけたと思ってる」
挨拶より先に父が言った。
「表示されてる」
「なら出ろ」
「仕事中だった」
「夜もかけた」
「夜は話したくなかった」
父の向こうで、紙をめくる音がした。予定を書き込む大きな卓上カレンダーを使っていることを、芽香は知っている。子どものころは、塾、歯医者、友人の誕生日まで父がそこへ書いた。空欄の日には、父の用事が入った。
「親からの電話を予定に入れないと出られないほど忙しいのか」
「予定に入れたら出る」
「冗談を言うな」
「冗談じゃない。第一土曜日の午前十一時。十分だけ」
父が黙った。
芽香はキッチンタイマーを手元に置いた。今日の通話も十分で終えるつもりだった。
「急用はメッセージ。電話は一回。返事がなければ待つ」
「家族に予約がいるのか」
「家族だからいるの。何時でも入ってきていい関係には戻れない」
「俺はただ心配してる」
「心配することと、応答を要求することは分けて」
受話口からボールペンのノック音がした。父は苛立つと、何度も芯を出し入れする。
「来月の第一土曜は病院だ」
「じゃあ第二土曜」
「その次は法事がある」
「予定を教えてくれれば調整する」
「お前が合わせるんじゃないのか」
「お互いに合わせる」
タイマーは残り四分。父は長く息を吐いた。
「来月は第二土曜の十一時」
「十分だけ」
「十分で何を話す」
「話せることを」
「足りなかったら」
「次の月」
また紙をめくる音がした。今度はペン先が一度だけ走った。
「書いた」
「何て?」
「芽香、電話」
自分の名前が父の予定表に書かれるのは、初めてかもしれなかった。以前はいつも「娘」とだけ書かれていた。
タイマーが鳴る。
「今日は終わり」
「まだ八分だぞ」
「準備の二分も入れて十分」
父が小さく鼻を鳴らした。
「細かいな」
「お父さんに似たのかも」
言ってから、芽香は少し後悔した。だが父は反論せず、「じゃあ第二土曜」とだけ答えた。
通話を切り、芽香は自分のカレンダーを開いた。来月の第二土曜日、十一時。予定名には「父」と入力しかけ、消した。
「槙野さんと電話」
そう打つと、予定は義務ではなく約束に見えた。毎日を埋めていた父の声を、一つの四角の中へ置く。空白の日々が、ようやく芽香へ戻ってきた。